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2021-06-10 00:00
(連載2)コロナ禍の五輪中止論を考える
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
ではコロナ禍によって東京オリンピックが中止された場合の責任はどう評価すべきであろうか。日本のマスコミは、日本政府に求め「コロナ対策がうまくできていないからだ」というような論説になりがちだ。このような態度こそ、「オリンピックの政治利用」という最も恥ずべき行為ではないか。東京オリンピック中止論から政府与党の政治責任につなげるのは、無理筋だからだ。日本政府はあくまで主体である東京都と組織委員会を支援する立ち位置であり、直接的に帰責すべきでないし、ではどうすればよいかということに繋がらない。
また、今オリンピックを中止すれば、喜ぶのは中国であることも忘れてはならない。「日本が克服できなかったコロナウイルスを克服して中国は冬季オリンピックを開催した」というような政治的宣伝材料をくれてやるようなものであろう。そこに日本にとってのメリットはなにもない。
もう一つ言うのであれば、オリンピックの中止権限はIOCにある。オリンピックというのはIOCと東京都が契約して行うもので、東京都は中止を決定する権限はない。ここからも「日本国政府」が開催運営の主役ではないことはわかるし、日本国政府がこの2者の自主性を尊重せず中止勧告をすれば、それは「オリンピックへの政治介入」ということになる。では、東京都が「できない」と判断するのかといえば、そうはならないであろう。東京都は、各種団体からの陳情や主張、様々な提言を受けて、緊急事態宣言に伴う経済活動の抑制を緩める方向を明確にしている。東京都はすでに「自粛」の効果よりも経済活動の再開による効果を優先すべきと考えているのだ。その状況で、東京都がオリンピックだけを中止するとは思えない。
もしも東京オリンピックの開催に反対を唱えるのであれば、その客体は東京都とIOCであるべきであり、その原因がコロナウイルスであるとするならば、WHOに勧告を出す責任を説くべきであろう。その辺の筋は間違ってはならない。オリンピックとコロナの経緯を棚に上げて、その対策とオリンピックだけを語る愚を避けるべきであろう。(おわり)
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