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2021-06-23 00:00
(連載2)共産主義政党と「言論の自由」
加藤 成一
外交評論家(元弁護士)
マルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)におけるプロレタリアート独裁は、「資本主義社会から共産主義社会への過渡期の国家がプロレタリアートの革命的独裁である。」(マルクス著「ゴーダ綱領批判」マルクス・エンゲルス選集12巻254頁参照)、「プロレタリアート独裁は、抑圧者、搾取者、資本家の反抗を暴力で打ち砕くのであり、暴力のあるところに自由も民主主義もない。」(レーニン著「国家と革命」レーニン全集25巻499頁参照)、「プロレタリアート独裁は、ブルジョアジーに対する暴力に立脚する革命的権力である。」(スターリン著「レーニン主義の基礎について」スターリン全集6巻129頁参照)などと規定されている。このように、プロレタリアート独裁は、共産主義革命に反対するあらゆる反党反革命分子を法律によって制限されず暴力で打倒し殲滅する労働者階級の権力であり、その実態は共産党一党独裁である。旧ソ連、中国、北朝鮮の実態を見れば明らかであろう。このようなプロレタリアート独裁すなわち共産党一党独裁は、自由と民主主義に基づく「言論の自由」とは明らかに対立し矛盾する。
日本共産党は、自由民主党から「自由社会を守れ」との激しい所謂「反共攻撃」を受けたため、1976年の第13回臨時党大会で「自由と民主主義の宣言」を行い、複数政党制、政権交代、信教の自由などの基本的人権を擁護発展させる立場を宣言した(日本共産党中央委員会著「日本共産党の70年」下巻50頁参照)。しかし、日本共産党は、現在も党規約2条でマルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)を党の理論的基礎とし、党綱領で「社会主義をめざす権力」(改定党綱領一七)と称して、プロレタリアート独裁を容認している。日本共産党の理論面での最高指導者である不破哲三前中央委員会幹部会委員長も、「社会主義日本では、労働者階級の権力、すなわち、プロレタリアート独裁が樹立されなければならない。」(不破哲三著「人民的議会主義」241頁参照)と明確に述べている。そして、マルクス・レーニン主義の核心は暴力革命とプロレタリアート独裁であるから(前掲「国家と革命」432頁、445頁参照)、日本共産党がマルクス・レーニン主義を理論的基礎とし、プロレタリアート独裁を容認している以上は、「政府当局者に対する批判の自由」(前掲「共産主義批判の常識」)である「言論の自由」と対立し矛盾することは明らかである。
評論家の立花隆氏は、「日本共産党の研究(上巻・下巻)」(昭和53年講談社)を出版し、日本共産党の戦前の所謂「リンチ共産党事件」等を取上げて批判したところ、共産党から「反共分子」のレッテルを貼られ、党組織を挙げての狂気じみた激しい「反共デマ宣伝」攻撃を受け、共産党が国家権力を握った状態の下であれば、私に何が起きたかわからない、との恐怖の体験を述べておられる(同書上巻1頁以下、482頁~483頁。下巻480頁、502頁参照)。上記が事実であるとすれば、共産党による「言論の自由」に対する、通常の「反論権」を超えた不当な組織的攻撃であり深刻な問題と言えよう。立花氏は、また「近代政治史を専攻し、反体制運動史を研究していた若い研究者が、私に加えられた党組織を挙げての攻撃を見て、共産党を歴史的な研究対象とすることに恐怖を覚えたといい、私自身も慄然とした。」(同書下巻480頁参照)と述べておられる。さらに、評論家の佐藤優氏は、最近の立憲民主党と共産党との選挙協力に関して、「それによって当選した人は自ら共産党の政策を忖度して共産党寄りになっていく」(「正論」2021年7月号)と指摘しておられる。「言論の自由」に関しても共産党寄りにならないか懸念されるのであり、少なくとも共産党の協力により当選した人にとっては、「共産党批判」はタブーとなるであろう。
以上の通り、1976年には「自由と民主主義の宣言」をした日本共産党であるが、同党が「暴力革命」と「プロレタリアート独裁」を核心とする共産主義のイデオロギーであるマルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)を放棄し、社会民主主義政党に生まれ変わらない以上は、将来、政権を獲得した場合に、「言論の自由」に対する懸念を払拭できないのである。まさに「言論の自由」は、日本共産党に限らず、マルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)に立脚する共産主義政党の根本問題なのである。(おわり)
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