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2021-07-14 00:00
(連載1)瓦解する「日本モデル」-ビジョンにもとづくリーダーシップの欠如-
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
日本の新型コロナ対策が迷走している。オリンピック問題に飛び火し、今や世界に日本の迷走を強烈にアピールしてしまっている。残念なことだ。私は、国際政治学者だが、というか国際政治学者だったからこそ、新型コロナ危機の国際的な衝撃を知りたいと思い、昨年は、記事を書く機会などを通じて、自分なりの理解の整理を行ったりしていた。その際、私が繰り返し書いていたのは、「何が日本の長所で、何が日本の短所なのか」をはっきりさせ、「長所を伸ばし、短所を補う」戦略を構築すべきだ、ということだった。新型コロナのような巨大な問題では、数多くの人々のイデオロギーや名誉欲だけでなく、巨大利権や社会権力構造が関わることで本質が見えなくなりがちだ。戦略的視点をとることが、非常に難しい。繰り返し「何が日本の長所で、何が日本の短所なのか」を確認して精査し、その分析に見合った政策をとらないと、いずれ瓦解していく。
私が「日本モデル」として称賛していたのは、尾身茂・分科会会長や押谷仁・東北大教授らのリーダーシップであった。残念ながら、今は、あるいは菅政権になってからは、彼らも旧来のエスタブリシュメント層によって、利用価値だけが計算されているような状態に陥ってしまった。短所がますます拡大し、長所がますます縮小している。日本の短所である「ビジョンのあるリーダーシップの欠如」が悪化の一途をたどり、長所である「平均値の高い国民の能力」が疲弊しきっている。
日本では、政治家が官僚に、官僚機構が末端組織や下請けに、「上手くやれ」、とだけ言い、矛盾を下に抱えさせて、問題を処理していくやり方が、得意だ。リーダーシップ層では閉鎖的な人事体系の中で目先のリスク回避優先の組織防衛が先走るので、どうしても目に見えない忖度文化の権力関係を活用して平均値が高い現場の国民の能力で問題を改善させる方法に頼りがちになる。
たとえば、日本の医療システムを抜本的に改革するというのは、大変な作業だ。危機が訪れたとき、日本の医療で対応できる限界を計算し、国民の努力でも補う作戦を考えるのは、合理的であった。だがいつまでも改善もせず、国民の負荷を継続して高め続けることによって、何年もの間やっていこうというのは、あまりに持続可能性がない。ワクチン普及についても、場当たり的で、状況に合致したシステムの構築は、全く看過されている。その一方で、地方自治体への負荷を高め続け、現場の努力を最大限以上に引き出すことによって成果としていこうとする短距離走型のやり方は、いずれ行き詰る。(つづく)
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