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2021-07-15 00:00
(連載2)瓦解する「日本モデル」-ビジョンにもとづくリーダーシップの欠如-
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
金融機関に忖度をさせて飲食店を締め上げようとした通産(経産)官僚出身の西村康稔大臣の発言が炎上したが、西村大臣を支援していた官僚群は、「いつもやっているやり方なのだが・・・」という気持ちしか持っていないだろう。上には迷惑をかけず、下に負荷をかけ続け、下請けに全てを飲み込ませ、決して目立たせることなく、問題の言語化はできるだけ避けて、問題を処理していくのが、日本の正しい官僚の道というものだ。ただ危機の状況では、それが可視化されてしまうので、異常さを一般国民から指摘されてしまう。言うまでもなく、高度経済成長期の全てがキャッチアップで動いていた時代であれば、従来のやり方にも相対的に意味があった。しかし、今は、社会を停滞させる癌のような精神文化でしかない。
一回目の緊急事態宣言が終わったちょうど一年前ほど前、社会の改革を促す機運があった。その中で、飲食店については、財政支援という明快ではあるが天井がある措置に加えて、デリバリー営業や、路上営業の促進を目指した政策の導入が謳われていた。「ウィズコロナ」という掛け声を、具体的な政策で考えている欧州諸国では、この一年で飛躍的にデリバリー業界が伸びた。飲食店の営業も、室内は引き続き閉鎖しながら、屋外部分のみで営業しているやり方も一般的だ。もともとの文化が違うと言ってしまえばそれまでだが、日本でも、一年前は、確かに路上を飲食店営業に提供していくための措置の必要性が語られていた。
そのような変化は、一年後の日本のどこにも見られない。皆、一年前の議論など、忘れてしまった。というか、忘れさせられてしまった。むしろ路上で飲むのは「抜け駆け」なので取り締まろう、という自粛警察の敷衍化だけに頼る考え方だけが進み続けた。新型コロナの大きな特徴は「エアロゾル感染」だという押谷教授の世界に先駆けた発見は、むしろ欧州諸国のほうで応用が進んだ。日本では「三密なんて甘い!」といった綱紀粛正だけに突破口を求める人々によって、封印が果たされた。そして、「路上営業の拡大なんて、面倒な制度改革が沢山あるじゃないか、それより金融業者に忖度させ、飲食業者にさらにいっそう忖度させた方がいい」、という「常識」を、「常識」として思い出し、受け入れることを強いられることになった。
新型コロナだけの話ではない。オリンピックがあまりにも大手広告代理店を中心に回っている、という批判がなされている。ミャンマーに対する「人権外交」の是非を問うと言っても、結局は年間数千億円の円借款の契約者として名を連ねている大企業群やその背景のフィクサーの保護こそが、最大の論点になる。「護送船団」方式は、キャッチアップが全てだった高度経済成長期のやり方だよ、ということは誰でもわかっているはずだ。だが、不可視の忖度で結ばれあった政財官のエスタブリシュメント層の鋼鉄の人事システムの中では、長期的なビジョンにもとづくリーダーシップを期待するのは、無理なのだろう。新型コロナにおける「日本モデル」は、日本社会のあり方にメスを入れるための良い機会だった。その機会が失われたまま混乱だけが広がっているのは、残念である。(おわり)
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