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2021-08-25 00:00
(連載1)新型コロナ対策、負担の偏り危険水域に
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
東京都の新規陽性者数の拡大は鈍化が続いており、実効再生産数も下がり続けている。全国レベルの実効再生産も下がり始めている。入院患者の絶対数が多くなっているのは確かだが、普通であれば、下がり始めたことの評価があってもいいと思うが、それはほとんどタブーのようになっている。「気が緩む」せいであるらしい。私のように10日前から増加率の鈍化にふれてほしいと言っていたような人物は、ほとんど非国民のようで、肩身が狭い。相変わらず、残念な風潮である。
日本人は、人を褒めない。誰からも褒められなくてもコツコツと働くのが、日本人の美徳とされる。しかし、いつも必ずそれだけでいい、というわけではない。子どもの教育でも、もっと褒めることをしたほうがいい、という認識は広がっている。大人も一緒だ。「気の緩み」を断罪し続けるアプローチだけでなく、もっと頑張っている人を褒めるアプローチがあってもいい。頑張っている人がいるから、成果が出ている。そのことに対する社会的な認知が低いのではないか。負担を受け止めながら頑張っている人たちを、もっと評価する方法について、考えを及ばせるべきではないか。
私は一年半前からそう言い続けているが、もちろん社会の風潮を変えることはできないので、諦めてはいる。だが、果たして日本はこのままでやっていけるのか、という不安感は高まる一方だ。新型コロナ対策の負担は、社会の特定層に歪な形でのしかかっている。旅行業界や飲食店の負担は、まさに「災害時」の様相だ。世代間の負担の不公平も甚大だ。高齢者を守るために若者が犠牲になっている構図が続いている。これは直近の負担だけでなく、国家財政を通じた負担という面でも、そうだ。
これに対して、医療体制の充実が芳しくないことへの不満が高まっている。欧米諸国では、医療従事者への感謝を表現する気運が非常に高まったが、日本では逆の雰囲気だ。高齢者よりも先に医療従事者へのワクチン接種が優先的に進められた。(つづく)
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