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2021-08-26 00:00
(連載2)新型コロナ対策、負担の偏り危険水域に
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
ところがほとんどの医療従事者は新型コロナ対策に従事していない。ただしもちろんこれは、医療従事者の人間性の問題ではない。システムが硬直化しすぎている。医療体制の逼迫と言っても、医療施設が災害時対応のモードに切り替わっていないことは、一年半にわたって議論され続けてきたことなのだ。だが繰り返されるのは、「気の緩み」をさらに断罪し、対処療法を強めて継続させていく方法だけだ。今まで負担を引き受けてきた人々への負担をさらに強める内容しか持たない新型コロナ対策は、もう危険水域に入っている。
ロックダウンを要望する世論が強まっている。これは単に強力な対策を打つべきだ、という気持ちからだけではなく、負担を公平に配分する形で「公正な」新型コロナ対策を行うべきだ、という気持ちが人々の間に根強く存在しているからでもあると思う。現在の緊急事態宣言の対策が忌み嫌われているのは、「公正さ」が足りないからだ。平時の医療体制を維持することを大前提にして、特定業者に負担が偏る「自粛」によって事態を乗り切ろうとすることの「公正さ」が問われている。
冷戦時代の日本は、一億総中流社会と言われた。日本は、実質的な平等が確保された社会だ、という観念が国民の間にも広がっていた。しかし今は違う。経済的「格差」の拡大が指摘されて久しい。逼迫した国家財政の中で、利益団体の影響力に応じた資源配分の歪さも恒常的な社会問題となっている。超高齢化社会における世代間の不平等も構造的な問題だ。新型コロナは、これらの社会の「不公正さ」の問題の全てを、深刻に悪化させ続けている。
「公正さ」の観点を軽視した新型コロナ対策は、日本社会全体の停滞を加速させる。われわれが対応しなければならないのは、目の前の感染症の問題であって、それだけではない。対処療法ではない新型コロナ政策は、「公正さ」をどれだけ確保できるか、にかかっている。(おわり)
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