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2021-09-09 00:00
もう30年経つのか、旧ソ連の保守派クーデター未遂事件
飯島 一孝
ジャーナリスト
当時、モスクワで毎日新聞特派員として取材していた私が、記念すべきこの日を忘れるとは!他社の報道を見て、この日を思い出した自分が情けなくなった。何しろ、モスクワ特派員として現地に到着して1カ月以内に起きた大事件である。そして、この日からソ連は消滅に向かって走り出し、年末には70数年の歴史を持つ国家を消してしまったのだから。1991年8月19日午前6時(モスクワ時間)、ソ連のテレビは突然、通常番組を中止し、バレー組曲「白鳥の湖」を流し始めた。ゴルバチョフ・ソ連大統領の健康状態が容易ならざる状態にあることを暗示していた。モスクワと東京の時差は5時間だったので、第一報が毎日東京本社に飛び込んだのは正午すぎ。外信部の夕刊デスクがモスクワ支局に連絡、直ちに原稿を送るよう指示してきた。
このとき我が家では妻と子ども2人がモスクワに到着した直後で、東京から船便で荷物が届いた翌日だった。支局長からの電話で叩き起こされた私は、「街の様子を見てきてくれ」という声で早朝の街に飛び出した。「何か変化があるとすれば、国家指導者がいるクレムリンだろう」。眠気まなこで車に乗り、クレムリンの入り口にある「赤の広場」に着いたが、いつもと変わらぬように見えた。赤の広場の入り口で警戒中の警官に聞いたが、「変化なし」と答えるだけだった。いったん支局に戻ると、エリツィン・ロシア共和国大統領が緊急記者会見を行うという連絡が入り、ロシア政府ビルへ向かった。午前11時、会見場に現れたエリツィンは「保守派によるクーデターだ。国際社会にロシア政府のアピールを伝えて欲しい」と要請。その後、外に出ると、いつの間にか現れたソ連軍の戦車約10台が政府ビルを取り囲むように停まっていた。そこにエリツィンが現れ、戦車に飛び乗ると、集まった市民に「クーデターは国家に対する反逆だ。ゼネストなどで抵抗して欲しい」と訴えた。
こうしてクーデターの幕が上がったが、保守派は国民の支持を得られず、わずか3日間で敗北した。この結果、エリツィン率いる民主派が共産党勢力を追い出し、ロシアの民主化が始まったのである。だが、30年後に行われたロシアでの世論調査では、その意味を正しく知っている人は21%のみで、「初めて知った」と答えた人が15%もいた、と20日付けのロシア有力紙「コメルサント」は伝えている。
クーデターのとき、ソ連大統領だったゴルバチョフは今も元気で、エリツィンから2000年に政権を受け継ぎ、独裁的統治を続けているプーチン・ロシア大統領を批判している。だが、エリツィンはすでに亡く、エリツィンが目指した民主化も思うように進んでいない。この30年は、ロシア国民にとってまさしく「光陰矢の如し」だったのだろう。
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