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2021-11-07 00:00
(連載1)眞子さま問題で考える憲法問題
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
秋篠宮家の長女・眞子さまが10月26日に、婚約が内定している小室圭氏との婚姻届を提出して結婚した。この問題は数年にわたって多くの人々の関心を集めて、生半可な知識や関心で簡単に立ち入れるような問題ではなくなってきている。ただ私は、今回の事態が、日本の国家制度に一つの問題提起をしているのではないか、ということは感じている。
全部で103条しかない日本国憲法の冒頭から第1条から第8条までを占めているのが、天皇制に関する条項だ。日本国憲法制定当時の日本人にとって、そして連合国関係者にとって、天皇制の位置づけは巨大な問題であった。その結果として、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」という規定が第1条として置かれた。この憲法第1条は、「象徴天皇制」を定めたものとして知られるが、極めて権力的な意味も含みこまれている。「天皇」の存在が、「主権者・国民の総意」に依拠しているためである。憲法に見られない「皇族」の存在は、皇室典範で定められている。皇室典範は、憲法第2条でその存在が明記されており、通常法の一つでありながら、憲法体系の事実上の不可分の一部をなしている特殊な法律である。したがって「皇族」にもまた、事実上「主権の存する日本国民の総意に基」いている性格があると言える。
こうした点を鑑みて、日本の憲法学の有力な学説は、「天皇」のみならず「皇族」を「国民」ではないとみなし、「基本的人権の享有主体」とも認めない。なぜなら日本国憲法において、「基本的人権」は「国民」だけが享受するものだとされているからである。(佐藤幸治『日本国憲法論』第2版161頁)政治家層でも、この有力説は、広く浸透している。これは特異な仕組みである。たとえばイギリスの場合であれば、皇族と臣民との区別はなされるが、同時に、たとえ大きな制限が課せられているとしても、依然として「主権者」が国王・女王であるという擬制は維持されたままだ。マグナ・カルタや権利章典によって成り立つイギリスの立憲主義の歴史において、諸個人の権利は、臣民が王に認めさせたものだ。18世紀のアメリカ合衆国(北米13植民州)の独立宣言も、イギリス王の社会契約違反に伴う臣民の権利としての革命権の行使、という論理で正当化された文書だった。
ところが日本では、「国民」のほうが「主権者」である。フランス革命思想の影響を受けた明治時代の自由民権運動の考え方である「主権在民」を唱える民間パンフレットの議論を、日本国憲法の起草者が取り入れたことによる「ねじれ」だ。「主権在民」の本家本元のフランスは、共和制に移行してしまっているので、日本のような悩みはない。(つづく)
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