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2021-11-08 00:00
(連載2)眞子さま問題で考える憲法問題
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
この悩みを、いわば折衷説で乗り切ろうとする学説もある。「天皇」及び「皇族」は「国民」であるが、その権利の行使には制約がかかる、という説である。特に「皇族」の場合には、憲法で定められた基本的人権の適用に、皇室典範が制約をかけるという落ち着かない仕組みすらあえて是認して、芦部信喜ら有力な憲法学者たちは、天皇及び皇族に課せられる人権の制約を選択的に明示していく。政府の説明によれば、この選択的な人権条項の適用は、憲法が予定しているものだとするが、明文化された文言上の根拠があるわけではない。憲法9条による自衛隊違憲論の場合と全く同じで、「芦部先生ら有力な憲法学者がそう言っている」という正当化事由、つまり一部憲法学者には至高の解釈者の特別な権能が宿っている、という固定観念に依拠した主張である。この事情は、日本国が批准している国際人権法を構成する条約が、憲法第98条2項によって誠実遵守義務の対象となっていることによって、いっそう複雑になる。「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下「自由権規約」)第2条は、「出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保すること」を定めている。「自由権規約」第14条「すべての者は、裁判所の前に平等とする」や、「表現の自由」(第19条)、「婚姻の自由」(第23条)などとあわせて、日本国憲法第98条2項によって誠実に遵守することが要請されている規定である。
つまり国際法上は、「日本では絶対的な権力を持つ主権者は『国民』なので、『国民』は非『国民』に対して『自由権規約』で定められた権利の行使の制限も行うことができる」、と主張することはできない。したがって憲法上も、少なくとも第98条2項と第1章諸条項及び皇室典範との整合性が問われる。日本政府は、1980年以来、自由権規約の規定にもとづき、国内の立法措置の状況などに関する報告書を作成している。日本の自由権規約加入以来、審査機関である「自由権規約委員会」は、日本国憲法が定める「公共の福祉」の概念が、人権を不当に制約することはないか、という質問を出している。これに対して日本政府は一貫して、ない、と答えている(ちなみにこの40年間にわたるやりとりは新型コロナ対策としてのロックダウン措置の合憲性にも大きく関わる)。
幸いなことに、「自由権規約委員会」は、皇室典範による「皇族」に対する人権保障の制約について質問を出してきたことはないようである。だがもし質問されたら、日本政府はどう答えるのか。「偉~い芦部先生がそうおっしゃっていることですから」といった主張は、国際社会では通用しない。皇室典範第11条は、「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」と定めるが、三権の長ら10名で構成される「皇室会議の議」を経なければならない以上、自由意思だけで簡単に皇族から離脱できるとみなすことはできない。
日本の「天皇制」は、「主権の存する日本国民の総意に基」いて維持されている一つの国家制度である。そこに「国民の総意」が反映されるべきであることは確かだ。他方、人権保障の観点からは、絶対主権論一辺倒で乗り切ろうとする法解釈論には、限界がある。自由権規約第2条3項は、「権利又は自由を侵害された者」に対する「司法上の救済措置」の必要性を定めている。皇室典範と自由権規約、日本国憲法と国際人権法の間の繊細な関係は、皇室の方々の善意の努力によって支えられているとも言える。憲法制定から70年以上の月日が流れている。素朴な私見では、自由意思の範囲を広げて人権保障を確証しつつ、「皇族」の定義を調整して制度維持を図ることが必要になってきているように思われる。私のような素人には、それ以上のことは言えない。しかし人権保障の観点からも、制度維持の観点からも、今回の眞子さまの一件は、矮小化して理解すべきではないように感じる。(おわり)
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