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2021-11-09 00:00
(連載1)人権か人命か、テロ行為への脆弱性
葛飾 西山
元教員・フリーライター
私がかつて中国に語学留学した三十年ほど前、降り立った駅という駅には「血的教訓」というポスターが張られていた。そのポスターには列車が爆弾によって爆破された無残な車輛の写真と、その被害に遭った被害者がボロ雑巾のような肉片になった写真がこれでもかと掲載されていた。興味本位に写真に撮ろうと思ったが、さすがに戦慄で二の足を踏んで、シャッターは切らなかった。もちろんその写真の中身が本当の事件のことであったのか、虚構であったのかは今となっては真偽の程は定かではないが、ともかく爆弾が破裂した瞬間、人間がどのようになるのかというのをまざまざと見せつけられた。
さてこのような記憶がよみがえってきたのはほかでもない。小田急線刺傷事件(2021年8月)を参考にした京王線刺傷事件(同年10月31日)が発生し、さらにこれを参考にした九州新幹線放火未遂事件が11月8日に発生した。放火ではないが、11月7日には東京地下鉄の東西線で千枚通し傷害事件も発生した。走る密室での凶行、考えてみればいともたやすいことである。
かつて「新幹線大爆破」という映画があった。映画では爆弾は炸裂することはなかったが、私は新幹線に乗車するたびに、必ず、時速270kmで疾走するこの列車のどこかで爆弾が炸裂したら、爆破車輛だけでなく、他の車輛は急ブレーキがかかるも連鎖的に脱線転覆し、約3000人の乗客の誰一人も生きていられないだろうとついつい考えてしまう。その時には必ず「血的教訓」を思い浮かべてしまう。こうした、いとも簡単な手口をテロリストが実行しないことが不思議であるとともに、テロリストが思い付きでできるような凶行を防ぐ手段が全く講じられていない現実もまたそれ以上に不思議でたまらない。
外国と異なり、テロリストが日本国内に車輛を吹っ飛ばすほどの爆弾を容易に持ち込むことができないからそこまで対策が講じられないのか。しかしテロリストが本気になれば、その程度の爆薬は採石場あたりからいくらでも強奪できよう。かつての映画「太陽を盗んだ男」では主人公の理科教師が原子爆弾を作った。ちょっとした知識があれば一般人でも簡単に爆弾が作れる。今は素材を入手することに高いハードルはない。現に中学生あたりが釘を内蔵した爆弾を自作したニュースが以前にあった。爆弾とまでいかなくともガソリンを撒いて着火したらどうなるか。仮に帰省ラッシュの超満員の車輛という密室でこのような凶行が行われると、瞬時におびただしい人が死ぬ。40年前の新宿バス放火殺人事件で撒かれたのはガソリンだ。ガソリンは揮発性が高いため、撒くと周囲の空気は可燃性ガスとなる。また炎から逃れたとしても有毒ガスによって呼吸困難となり酸欠で死に至る。同じくガソリンが撒かれた2年前の京都アニメーション放火殺人事件では焼死者以上に多かったのが酸欠死だ。(つづく)
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