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2021-11-17 00:00
(連載1)中国の安定の歴史と台湾問題
葛飾 西山
元教員・フリーライター
中国の歴史はとかく「分裂」の時代と「統一」の時代として認識されることが多く、学校教育はもちろん、世界の知識人層もそのような認識であることが多い。しかし異民族を内地と塞外として峻別する認識は漢民族によって編まれた歴代正史によって刷り込まれたイメージであり、実際には混在・通婚・雑居の状態にあり、支配権の追認などの便法で統一の体裁を保っていたことが明らかにされている(参考:杉山正明『 遊牧民から見た世界史』日経ビジネス人文庫)。
中国人の意識の中にある国境線の概念は、大清王朝の最大領域を継承した広大なもので、ウイグル、チベット、スプラトリー諸島は勿論のこと、沖縄、朝鮮半島、外蒙古もすべて中国固有の領土として19世紀末から意識されていた(参考:川島真「近現代中国における国境の記憶」境界研究1)。この領土主張は、当時の外圧による領土の喪失に対する反発意識が下地にあった。しかしその大清王朝の実態は、そもそもが軍事力で四界を制圧したものではなく、マンジュ(満州族)、ウイグル、モンゴル、チベットによるマニ教を接合剤とした緩やかな連合体であったことが明らかにされている(参考:石濱裕美子「ガルダン・ハルハ・淸朝・チベットが共通に名分としていた『佛敎政治』思想」東洋史研究59-3)。
つまりここで言わんとするのは、元来、中国の歴代の統一王朝は巨大な一枚岩のようなものではなく、また周囲を軍事的に制圧したものではなく、本音と建前をうまく使い分け、時代々々の状況に柔軟に対応した連合体であったということである。決して漢の武帝や、明の永楽帝のように武力で遠征ばかりしていたわけではなく、それより遥かに長い時間は、安定した状況を維持するためにしたたかに柔軟に対応しすることに費やされていたのである。
ただしそのような柔らかな対応が西欧列強の植民地争奪の餌食になってしまったことは事実である。しかし中国が強大となったいま、ここから先、事を荒立てて敵を作りながら「統一」を目指すことが本当に中国の繁栄の継続につながるとは思えない。(つづく)
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