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2021-12-04 00:00
(連載1)全斗煥元大統領の再評価
荒木 和博
拓殖大学海外事情研究所教授
11月23日に、韓国の全斗煥元大統領が逝去されました。謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。全斗煥という人は特に今の韓国では不当に悪者にされてしまったという感があります。1961 年に朴正煕が5・16軍事クーデターを起こした際には革命主体勢力には加わってないのですが、その革命軍の本拠地に乗り込んで「一体このクーデターにどういう意義があるのか」ということを質すということをやりました。その後陸軍士官学校の生徒を率いてこの革命を支持するというパレードを行ったりしました。陸軍士官学校での成績はあまり良くなかったですけれどもリーダーシップがあって、人を引き付ける魅力があったんだろうと思います。
朴正煕大統領が1979年10月26日に側近である中央情報部長に暗殺されて亡くなると、ピンチヒーターの崔圭夏が大統領代行になったのですが、12月12日当時保安司令官で陸軍少将だった全斗煥は粛軍クーデターを成功させ鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し崔圭夏に追認させるなどして軍の実権を握りました。崔圭夏はその後大統領になるんですけども、北の勢力も入るなどして色々なデマや不満が噴出しデモが頻発するなど治安も悪化していきました。
社会がむちゃくちゃになりつつあったときに起きたのが1980年5月17日の軍事クーデター、いわゆる光州事件でした。軍部に抵抗する民主化運動を鎮圧するために軍が入って、デモ隊だけでなく、軍人や警察官などにも多数の死傷者が出ました。後にこれが韓国社会では聖域化してしまいました。今の韓国でこの抵抗運動に対して暴動とかそういう見方をすれば厳しい糾弾を受けることになってしまいます。これは、ヨーロッパで、ナチスのやったことをちょっとでも再評価すれば、刑事罰を受けるのと似たような状況になっているということです。
全斗煥は、その虐殺の当事者として非難を受け続け、さらには不正蓄財などいろいろな問題が出て厳しく糾弾されました。しかし後から考えてみると、全斗煥が大統領を務めた時代は1981 年から 88 年までということになりますが、この期間、韓国は経済的にはもうどんどん発展していきました。(つづく)
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