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2021-12-05 00:00
(連載2)全斗煥元大統領の再評価
荒木 和博
拓殖大学海外事情研究所教授
1986年にはソウルでアジア大会、88年には東京オリンピックに次ぐアジア第 2 回目のオリンピックを行い韓国の国際的地位は一気に上昇しました。輸出も非常に伸び朴正煕時代から悪化し続けていた治安も安定したため、韓国国民の生活は大いに向上しました。あの当時の韓国にとっては、そんなに負の側面ばかりを強調するような悪い時代ではなかったと思います。功罪においては、罪の部分もありましたが、功の部分もかなり大きい大統領だったんではないかと思います。
全斗煥は韓国憲法に定められた 8 年の任期規定をきちんと守って退任して盧泰愚大統領に引き渡したのですが、その大統領選挙は激戦でした。金泳三や金大中といった後の大統領になる野党の候補者と戦って勝ったわけですね。1971年以来となる民主的な選挙を成し遂げたのは当時の現職大統領だった全斗煥大統領であったことも事実です。
韓国の中ででもやがておそらく再評価される時は来るかとは思いますけども、私は全斗煥の死を機に改めて評価をすべきではないだろうかと思ってます。光州事件が一体どこまで本当だったのかというのも再検証が必要でしょう。韓国国内で言われているほど極端に大きな事件ではなかったと私は考えています。全斗煥はこの鎮圧の責任を最後まで問われていたのですが、一方で北朝鮮がこの暴動事件に関与していたことはほぼ事実で、友人である元工作員李氏は「当時出撃のために待機していたが、早々に鎮圧されたため取りやめになった」と言っていました。北朝鮮からは派遣しなかったとしても、当時光州に潜伏していた工作員が暴動に関わっていた可能性は否定できません。このように、北朝鮮の工作員も韓国内で活発に動いていたわけですから、当時の複雑な情勢を無視して全斗煥を悪人だと言って切り捨てるというのはおかしいと思います。
どれだけ虐殺をしてきたかということでは隣のあの金一族の3代に韓国社会が配慮していることとのバランスが取れていません。韓国人と同じ民族、さらには韓国の憲法上では同じ韓国人ということになる北朝鮮の人々を虐殺してきた独裁者は追及せずに、全斗煥の負の側面ばかりを攻撃するというのは、冷静な議論とは言えないでしょう。(おわり)
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