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2021-12-14 00:00
「真珠湾攻撃」の世界史的意義
加藤 成一
外交評論家(元弁護士)
日本の米国との太平洋戦争は今から80年前の1941年12月8日の「ハワイ真珠湾攻撃」で火蓋が切られた。ハワイ真珠湾は米国海軍太平洋艦隊の主要基地であり、西太平洋海域における制海権・制空権を掌握するための米国海軍の重要な戦略拠点であった。日本海軍による真珠湾奇襲攻撃の目的は、日本軍のマレー半島、フィリピン、シンガポールなどへの南方作戦に対し、米太平洋艦隊の介入を防ぐとともに、緒戦において米軍に大打撃を与え、米国海軍及び米国民の戦意を挫くことにあった。特に、真珠湾攻撃を立案し主導した海軍大将山本五十六連合艦隊司令長官には後者の意図が明確であった(大木毅著「太平洋の巨鷲・山本五十六」231頁2021年角川新書参照)。山本長官は、開戦時における日米間の国力差に鑑み、長期持久戦を避け、短期決戦による早期和平への道を模索していたからである。
真珠湾奇襲作戦は空母6隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦9隻、特殊潜航艇5隻、艦載航空機350機により敢行された。戦闘の結果、米海軍戦艦4隻撃沈、戦艦3隻損傷、航空機231機損失及び損傷など、米軍に甚大な被害を与えた。日本側の損害は航空機29機、特殊潜航艇5隻のみであった(大木毅著「前掲書」223頁参照)。このように、真珠湾奇襲攻撃は米海軍に大打撃を与えた。しかし、真珠湾奇襲攻撃を受けて米国は直ちに日本に宣戦布告し、結局最後まで米国民の戦意は挫かれることはなかった。日米戦争は、マルクス・レーニン主義の立場では、後進資本主義国の日本と先進資本主義国の米国との間の「植民地争奪戦争」であり、レーニンによれば「帝国主義戦争」である(レーニン著「資本主義の最高の段階としての帝国主義」(レーニン全集22巻293頁以下参照)。中国重慶国民党政府の蒋介石は、長らく日本と英米との開戦を待ち望んでいた。日中戦争に有利となるからである。真珠湾攻撃の報に接した蒋介石は「気持ちを抑えられないほどだ」と「蒋介石日記」に記している(波多野澄雄ほか著「決定版・大東亜戦争」上114頁以下2021年新潮新書参照)。
太平洋戦争の評価は別として、日本は当時、米英を超える超弩級戦艦「大和」「武蔵」や11隻もの「空母」「ゼロ式戦闘爆撃機」などに象徴される世界最高水準の科学技術力を有していた。その当時、日本は、中国や韓国に比べ、東洋一の強大な軍事力と国力を有していたことは事実であり、これは我々日本人の優秀さの証明であり、今も誇りであると言えよう。のみならず、結果的には、真珠湾攻撃を含む日本の大東亜戦争が、インド、ベトナム、フィリピン、インドネシア、シンガポールなどのアジア諸国を欧米列強の植民地支配から解放し、独立をもたらした側面があり、世界史的意義を有することは否定できない事実である。
他方で、「真珠湾奇襲攻撃の目的」それ自体は真珠湾攻撃のみならず、それに続く破竹の快進撃によってすら、達成することが出来なかった。その後、対米戦争に敗北した日本は、明治以降に築き上げた多くのものを失ったのである。戦争史の観点から言えば、日本によるこの冒険的行為は、先述した後進資本主義国の日本と先進資本主義国の米国との間の「植民地争奪戦争」の一つの帰結でもあり、米国による「予防戦争」(2020年12月8日付拙稿
「日米開戦を『パワー・シフト理論』から読む」
参照)の過程の1つとも解釈しうる重要なマイルストーンである。中国の挑戦により「パワー・バランス」が動揺する東アジアにおいて、かつて真珠湾攻撃を経験した日本が地域秩序のために果たすべき役割は大きい。山本五十六連合艦隊司令長官は次の言葉を残している。「国大なりといえども戦いを好む者は必ず滅ぶ。天下安らかなりといえども戦いを忘れる者は必ず滅ぶ」((源田実著「真珠湾作戦回顧録」332頁2021年文藝春秋社参照))。日本国民はこの教訓を決して忘れてはならないのである。
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