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2022-01-28 00:00
コロナ対策からみる教育の重要性
木村 勉
年金生活者
濱田寛子医師の指摘した「集団免疫イコール公益」であるという意識は非常に重要だが、それを公衆衛生や社会倫理の問題として捉えて、ワクチン接種の意思決定を行っている住民は多くはあるまい。2021年11月24日に南アフリカでオミクロン株の発見が報告されてから一ヶ月と経たないうちに水際策を講じていた日本でもそれの感染例が報告されたことからもわかるように新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は地球規模の公衆衛生問題であるが、それ自体は個々の国民の心理において重要な要素ではない。個人はそれぞれミクロな事情で行動するからである。
例えば、ワクチン忌避の理由として、大多数の約7割が「副反応の心配」を上げている。当時から副反応に関する情報公開は進んでおり、それのリスクとCOVID-19発症のリスクを比較すれば、行政からすれば住民は情報をもとに合理的にワクチン接種を選択すると考えたいところだが、実際には、住民は副反応のリスクを過大評価し、それとは反対に市中感染の期待値を低く見積もったということである。これは、自分だけ抜け駆け的に接種をせずに他の住民がワクチン接種をし集団免疫が形成される前提に立てば極めて妥当な判断だが、それを多くの人が選択すれば社会全体では市中感染による損害を被る可能性が高まるだけである。このような錯誤は、「不安の過大評価」と「公益性の軽視」が解消されれば、改善するところであろう。
その点、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センターの調査(2021年6月25日)によると「若年、女性、一人暮らし、年間100万円未満の低所得、中学卒業あるいは短大/専門学校卒業といった教育歴、重度の気分の落ち込みがある方、政府ないしコロナ政策への不信感がある方」はワクチン忌避の割合が高くなるのだが、濱田医師が「『ワクチンの必要性』を教育で俯瞰して物事をとらえることのできる人々を増や」すべきと主張されるのはここに理由があるのであろう。ここでいう「教育」とは価値観のことではなく、教育社会学的な意味でのそれであろう。「道徳と政治」が長年大きなイシューとなっているように、前者を教化することは民主主義国家になじまないからだ。後者的な意味で、教育水準を上げていくことはその具体策は別として、ここの住民が「不安」を煽る風説を排して科学的・合理的に判断したり「公益性」と個人の関係を客観的に捉えたりする上で非常に意義深く、追求していくべきところであろう。
また、上記調査のもう一つの解釈として、経済力の問題もあろう。「若年、女性、一人暮らし」も低所得層に見られる傾向であるし、また学歴と所得には相関性があり、また貧困によって知的活動度合が抑制される傾向があるのは事実である。その上で、世界の1人当たり名目GDPで日本は24位(約4万ドル)で先進国最低レベルで相対的に漸減傾向である。この傾向を変えていくには、短期的には財政・金融政策が重要だが、長期的には少子化トレンドを転換する人口政策と、人口政策の一部として日本の労働人口全体の質を底上げする教育政策が重要である。国家の地力とは有事で試されるものである。新型コロナウイルス感染症で日本は大いに苦しんでいるが、不足の部分をよく見極め限られた日本のリソースを何に投資していくべきかを考える奇貨としたいものである。
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