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2022-02-25 00:00
ウクライナ戦争が「民主主義」国家・日本に突き付ける刃
葛飾 西山
元教員・フリーライター
1938年、ドイツのヒトラー総統はチェコスロバキアの虐げられたドイツ系住民を保護するためにズデーテン地方を併合した。このときイギリスのチェンバレン首相は戦争回避の方針からミュンヘン会議でこれを容認した。1939年、さらにドイツがチェコスロバキアを併合した際、非難声明は出したがこれを「最後のプレゼント」として黙認した。チェコスロバキア併合はナチス=ドイツの拡大の足掛かりになる懸念はあったものの、イギリスやフランスにとってドイツと事を構えるほどには国益としてのグレードは低かったのであろう。結果、ヒトラー総統の暴走を許容することとなり、第二次世界大戦の種を撒いたとされた。その後、挙国一致内閣を組織したチャーチル首相はアメリカと連携しながら真っ向勝負に出ることになったが、両間大戦期の歴史ではチャーチルに比して、チェンバレン首相の交渉は弱腰外交と一般的には指弾されてきた。
同じ構図が2022年に発生した。2月24日、ロシアのプーチン大統領は独自に独立を承認した「自治共和国」からの出動要請を受けたとして国連加盟国である独立国の全土に進駐(侵攻)した。このロシアの軍事行動はまるでナチス=ドイツのチェコスロバキア併合と二重写しになって見えた。アメリカのバイデン大統領がチェンバレンになるのか、チャーチルになるのかは全く予見はできなかったが、どうやらチェンバレン路線を取ったようである。だが悲しいかなそれを非難はできない。強硬路線をとればそれなりに相互の流血と破壊を含む大きな代償を伴うからだ。
さてプーチン大統領は今回の軍事行動について、ウクライナ全土の征服を目指すものではないことを表明しているが、端から信用はできない。既に昨年の7月には論文を公表し「ロシアとウクライナは一体」であることを表明しており、また今月21日の演説では、ウクライナの国家そのものをレーニンらボリシェビキによる誤った「フィクション」であり、持続的に独立した国家として存在した歴史はなかったと表明した。政治の世界ではこの歴史観が誤っているかどうかは問題ではない。政治家が歴史を語るとき、それは単なる歴史評論ではなく政治目標そのものであるからだ。つまりプーチン大統領が描いているのは明らかにウクライナ国家の消滅・抹消であろう。傀儡などという生易しいものではなかろう。
NATO加盟国と国境を接することは得策でないと考える向きもあるが、プーチン大統領の構想がソ連領の回復どころかロシア帝国の再現だとしたら、彼にとってウクライナはロシアの一「地方」でしかない。さすがに軍事侵攻で即座に国家を消滅させる野暮なことは行わないであろう。だがその先は、1)ゼレンスキー大統領を身柄拘束・ロシアへの連行・ジェノサイトの首謀者として裁判 2)親ロシア新政権の樹立 3)親ロシア新政権からの要請を受けてのロシア軍の駐留 4)親ロシア新政権でロシアへの帰属決議 5)ロシア議会でウクライナの帰属要請の承認決議とプーチン大統領への併合要請 6)併合条約の締結によりロシア領化 という茶番劇のシナリオは素人でも想像がつく。これは1年~2年の長期スパンで行われるかもしれない。軍事的に無力化した傀儡(属国)でもまだ安心できないときは実定法の手続きを積み上げて併合する。かつて日本も朝鮮王国に対して保護国→併合と同じ手続きを踏んだ。G7からは経済制裁が発動されるが、ロシアも最大の経済制裁まで想定した上での軍事行動であろう。もはやどのような経済制裁もG7のポーズだけで終わることになろう。恐らくオリンピックにかこつけてプーチン大統領は北京で習近平総書記と中国の立場に配慮しつつ経済連携の継続の話は取り付けていたのかもしれない。
今や少数派になった民主主義国家群のG7は世界経済の安定を優先し、大統領制という民主主義政体の衣を纏った強権国家にウクライナを人身御供として差し出すのであろうか。はたまた21世紀のチャーチルが現れるのか。チャーチルがド=ゴールを受け入れてイギリスにフランス亡命政府を作ったように、G7がウクライナ大統領府を避難させて亡命政府を作り、徹底抗戦を支援すれば、それはそれで世界経済に大きな影響を及ぼす大転換点となるであろう。しかしゼレンスキー大統領の身柄拘束または爆死を手をこまねいて見届けたなら、世界経済は安定回復に向かうが、その代償として、ウクライナ国家は消滅に向かい、民主主義体制はロシアを前に何もできなかった「口先だけ」の体制として信頼を失い終焉を迎えることになろう。
遠い東欧での出来事は、我々日本の国家存立理念への根本的問いかけでもある。独立国の主権への尊重の観念など微塵もない強権国家に対峙したとき、民主主義の理念を守るのか。それとも他国の犠牲の上に安定と平和に安住を続けるのか。どちらを選択するにしても日本国と日本人にはそのリスクを受け入れる覚悟はあるのか。
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