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2022-03-05 00:00
(連載2)ウクライナ戦争に伴う民主主義の「全般的危機」
葛飾 西山
元教員・フリーライター
かつてイラクのフセインが1990年8月にクウェートに侵攻・占領した際、アメリカが多国籍軍を組織したのは1991年1月で、約半年後のことであった。日中戦争は第二次世界大戦にリンクするまでは5年かかった。フランス領インドシナを日本が占領してもイギリス・アメリカとの戦端は開かれなかった。今回も、最短でも半年、長ければ数年は欧米諸国からの軍事介入はないかもしれない。ましてアメリカはアフガニスタン敗北もあり、軍事介入する余力はない。ロシアとの距離感に差があるヨーロッパ諸国はプーチンから見れば、ある意味で雑魚同然だろう。こうして思い返せばアメリカのアフガンからの撤退がウクライナ侵攻へのGOサインだったのかもしれない。
時間の経過とともに大きな影響力を持つのが教育である。子供達には「ロシアが守るウクライナ」「ロシアとともに歩むウクライナ」が学校で教え込まれ、その子供たちは支配された現状を「当為の社会」と認識しながら成長し、やがて新しい「ロシアとともに歩む」世論・民意を形成するようになるだろう。ゼレンスキー大統領は「次はバルト三国の番だ」と警鐘を鳴らしている。バルト三国はNATO加盟国であるとはいえ、地政学的にはロシアが圧倒的に優位である。有事の際にアメリカが維持困難として撤退する可能性もあろう。そうすると後はドミノ倒しだ。ロシアは経済的に困窮しても中国の経済的が後支えがある。中国もまた対アメリカをにらんだ戦略から、ロシアを経済的に後援しながらキャスティングボートを握ろうとするだろう。こうした見通しが「たわごと」で終わることを願うばかりだ。
かといって、今の日本には自国経済が戦時状況まで悪化してでも民主主義を守るという気構えは見られない。やはり明日の食卓に並ぶオホーツク産の鮭の値段と、電気代・ガス代・ガソリン代が一番の心配ごとなのである。心の奥の片隅に「ウクライナの人には気の毒だが…」という気持ちは微塵もないと、胸を張って言えるであろうか。
このような言辞を並べる私自身もその一人である。文字数が増えるたびに湧き上がってくる、吐き気に似た自己への嫌悪を感じながら擱筆する。(おわり)
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