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2022-04-06 00:00
(連載2)「ウクライナは政治的妥協をすべし」への違和感
松川 るい
参議院議員
もしも、世界中の人がそう思うなら、今頃、全世界の民がディアスポラではないだろうか。今、こんな光景を21世紀に見ることは想像だにしなかったが、日々、ロシアによるウクライナ侵略の現場をテレビで見る。無辜のウクライナ国民が殺されることは耐えられないというのは、外国人である日本人の私たちなどの数千倍もゼレンスキー大統領が一番そう思っているだろう。
それでも、すぐに白旗を挙げてロシアの要求をのめばいいではないか、といわんばかりの意見には賛同しかねる。戦争指導者が国民の命と国土のためにどこかの時点で妥協すること自体には一理あるだろう。第二次世界大戦で、フランスがドイツに降伏した理由の一つはパリの美しい歴史的街を、ノートルダム寺院を、破壊されたくないということだったのかもしれない。日本だって、広島、長崎に原爆が落とされる前に降伏すべきだったのだろう。だが、戦わずして白旗を挙げて侵略者の要求をのめば、それで平和になるというのは幻想にすぎない。属国になればもっと酷い目にあう。そして「祖国」がなくなってしまう。それがわかっているから、祖国のために人は戦うのだ。チャーチルがドイツと最後まで戦う(We shall never surrender!)ことにしたのも、バッキンガム宮殿やウィンザー城にナチスドイツのハーケンクロイツの旗が翻る光景を死んでもみたくないというイギリス人が多かったからである。
なぜウクライナの人たちは立ち上がって戦い続けているのか。それは、彼らの愛する祖国をこの世から消したくないからだ。ロシアの属国になれば、もっとひどい目に遭うこともわかっているし、何より、ウクライナという祖国の存在が歴史から消されることがわかっているからだ。祖国のためにどこまでやるかを決める「資格」があるのはその国の国民だけだ。今生きている自分たちだけではなく、祖先が営々と守ってきた国、そして、それを子々孫々に受け継ぐ義務があると感じるからこそ戦うのではないか。自分の命だけが大事なのなら、さっさと逃げればいい。でも、そう思わない人も結構多くいる。だから国が成り立っている。そういう精神のない国は、弱肉強食の歴史の中でもう既に歴史上からきっと消えている。
自分が帰属するものが、まずは自分自身であり、家族であり、地域であるとすれば、その器となるのは、国である。それは近代国家が成立してからの話で、昔昔は「国」なんてあってなかったよ、命あっての物種だよ、という人もいると思うし、それが間違っているというつもりもない。特攻隊で日本のために自己を進んで犠牲にしてくれた若者たちに心からの感謝と敬意を表するとともに、そんな風に命を使うこと自体はもし自分が指導者なら、二度とさせないと心に誓っている。ただ、「国」というものの考え方の違いについては、それはもう価値観の違いとしかいいようがない。でも、ウクライナの人たちの多くは、多分、ウクライナという「国」そのものを愛しているから戦っているのだ、と思う。それが、「愛国心」というものなのではないか。違和感の正体は、「祖国」とか「愛国心」というものに対する考え方の違いなのだろう。(おわり)
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