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2022-06-01 00:00
(連載2)真の「芦田修正」は国際法尊重主義
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
芦田が懸念したのは、この措置によって、前文と9条の連動性が見えにくくなってしまうことだった。そこであらためて前文の内容を短く要約する形で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という文言を挿入したのだった。前文で謳われている国際協調主義の精神があり、9条がある。戦争に負けて一方的に武力を奪われるのが9条の内容ではない。9条が宣言しているのは、日本は国際法を遵守していく、ということである、というのが、芦田が明確にしたかったことであった。つまり芦田は、前文から謳われている日本国憲法の論理構成の中で9条があり、その精神は国際協調主義である、という点に誤解の余地がないようにしておきたかっただけだった。
芦田均は、外交官出身の国際派で知られた政治家であった。不戦条約に至る「国際法の構造転換」にも詳しかった。そのためGHQ憲法草案を正確に読んだ。ただ、残念ながら、プロイセン憲法を模した大日本帝国憲法とドイツ国法学の概念構成に浸りきっていた憲法学者たちやその弟子である内閣法制局の面々は、そのように憲法を読むことができなかった。そのため国際法のロジックを憲法に持ち込むことそれ自体をクーデター行為であるかのようにみなした。そこで憲法学者たちは、憲法成立後に、「そうではない。前文が何を言っていようとも、9条は非武装中立の条項であり、たとえ国際法規範から逸脱してでも、決して武力を持たないという意味の規定だ」と主張するようになった。意味を明確にしようとする芦田の意図は否定され、「芦田こそが憲法の意味を変えようとした姑息な陰謀論者だ」といった憲法学者の主張の方が社会を覆うようになった。東大法学部の必修授業や、公務員試験や、司法試験を通過してきた国会議員も、洗脳されるのが当然のこととなった。
3.国際法にそった自衛権の行使は無制限ではない
国際法における自衛権の行使には、必要性の原則と、均衡性の原則という二つの制約がかかる。これは国連憲章51条が自衛権を創設したのではなく、1945年以前から慣習国際法の中に自衛権が存在していたために成立している事情で、この理解を認めていない国は存在しない。国際法を遵守する立場から9条が作られていることを確認しようとした芦田の試みが、「無制限の自衛権の行使」を志向するものであった、という現在の日本政府の理解には、全く歴史的な根拠がない。芦田の理解としては、間違いである。
政府が国会答弁で使っている「芦田修正」の理解は、「芦田は姑息な方法で憲法の内容を変えようとしたが失敗した人物である、という憲法学者が作り出した陰謀論的な物語」の説明でしかない。実際の芦田とは関係がない。単なる憲法学通説の陰謀論の物語でしかないのである。日本政府は、「芦田修正をとらず、憲法は必要最小限の実力行使だけを認めていると解釈する立場」を採用しているという。ここに全ての不幸がある。最初から芦田にならって、「日本国は国際協調主義の立場から国際法を遵守する。したがって国際法にそって必要性と均衡性の原則にそって自衛権を行使する」と説明できていれば、70年以上にわたる大混乱を防ぐことができた。今になってまで日本人は、「われわれが作り出した『必要最小限の実力行使』という謎の概念の本当の意味は何か」といった頓珍漢な問いと格闘している。1945年の芦田の方が答えをよく知っていた。それは「国際法が定める必要性と均衡性の原則に沿った自衛権の行使」でしかないのである。しかし「芦田やら篠田やらなどは絶対に認めない、重要なのは東大法学部の必修単位と、公務員試験と司法試験を誰が牛耳っている憲法学者であるかどうか、それだけだ」という立場に頑なに固執し続ける国会議員の先生方は、どこまでも果てしなく的外れな謎々を続けていくつもりだということなので、本当に残念でならない。 (つづく)
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