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2022-06-16 00:00
(連載2)ロシア・ウクライナ戦争をめぐる言葉遣い
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
NATOはボスニア・ヘルツェゴビナやコソボにおける内戦に軍事介入したが、それはあくまでも外部者が軍事制裁を加える意図で介入しているにすぎない、という理解をするのが普通である。そのため「NATO・セルビア戦争」とか「NATO・ユーゴスラビア戦争」などといった言い方はしない。アメリカが21世紀に仕掛けた2001年アフガニスタン戦争と、2003年イラク戦争は、「世界的な対テロ戦争(Global War on Terror)」の局地戦と位置付けられ、国際社会全体を代表するアメリカが、ならず者に制裁行為を加えているという図式を表現することを、アメリカ人が好んだ。そのため「米・イラク戦争」といった名称は避けられることになった。しかし03年のイラク戦争は特に、戦争の実態は、国際社会全体が行動しているかのような図式からはかけ離れていた。「米・イラク戦争」と呼ばれるべきものだっただろう。
今回の「ロシア・ウクライナ戦争」を、「ウクライナ戦争」と言い換えてしまうと、ロシアがウクライナにおける内戦などに介入しているだけだという基本構図を追認している言い方になってしまう。つまりウクライナ政府と、反政府勢力の間の戦いに、ロシアは外部者として介入しているだけだ、という理解を是認しているかのような言い方になってしまう。これはかなりプーチン大統領の世界観にそった理解である。少なくとも「ウクライナ戦争」は、ロシアとウクライナという二つの主権国家を対等に扱わない概念設定である。
私がもう一つ非常に気になっているのは、「西側」という概念だ。これは英語で「The West」と言われるものに対応している概念だと思われる。だが英語の「West」には、「西洋」といった文明論的な含意が内在しているが、日本語の「西側」の概念にそのような含意はないだろう。「西側」というのは、西の側、ということだから、東の側の反対の側が、「西側」だ。厄介なのは、日本語においてすら、「西側」の概念を使うのに必須と思われる「東側」の概念が全く使われなくなってしまっていることだ。東側がないのに、西側だけが存在しているという奇妙な事態が生まれているのである。「西洋」という含意もある「West」は、「West vs. Russia」といった概念図式とともに、用いられる。これによって表現されているのは、ロシアは西洋文明の一部ではない、という突き放した理解である。実際のところ、EUやNATOの拡大によって、制度論的に見て、「東側」は存在せず、「西側」は欧州のほとんどを覆い尽くしている。今回の戦争によって、ウクライナも決定的にロシアから離反した。「ロシア側」に残っているのは、ヨーロッパ大陸では「白ロシア」を意味する言葉を国名に持つベラルーシくらいだ。これではとても広大な「西側」地域に対抗する「東側」を構成しているとは言えない。あえてその他の親露的な国をあげれば、コーカサスのアルメニアや、中央アジア諸国などの旧ソ連を構成していた地域の諸国だけである。ロシアでは伝統的に「ユーラシア主義」の思想があるが、ロシアの影響圏は、「東側」というよりも、せいぜい「ユーラシア」の中央部に存在しているだけだ。それがEUが代表する「欧州」や、NATOが象徴する「西洋」と対峙している。
こうした実態を度外視して、「西側」という冷戦時代から続く概念を、無自覚的に使い続けていていいのだろうか。「西側」に対峙するロシア、といった概念構成をしてしまうので、あたかもロシアが一つの陣営を率いているかのような錯覚にとらわれ、「西側とロシア」が手打ちをすると戦争が終わる、と考えてしまう人々が後を絶たないのではないか。概念構成は、学者的な話だが、社会科学の分野では、学者だけで決めていけるわけでもない。社会的な認知が必要だからだ。この機会に、日本人も、高度に政治的な状況においては、言葉の選択も高度に政治的になる、ということについて、感覚を養っておいたほうがいいように思う。(おわり)
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