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2022-07-25 00:00
歴史的節目の夏
鍋嶋 敬三
評論家
歴史は日常の出来事の積み重ねである。とはいえ50年、100年前の出来事を想起したとき、歴史の因縁めいた感慨をもたらすのも自然なことだ。日本人は広島、長崎への原爆投下と太平洋戦争敗戦の8月を迎えるに当たって厳粛な気持ちに浸る。内外地に310万人もの戦争犠牲者を出した上で今日の平和があるから当然であり、真摯に平和を願う気持ちを新たにするのは貴いことである。今年、77回目の夏を迎える。改めて戦後日本の「再出発」の年という思いを強くする。朝鮮半島での戦争が休戦になってから来年で70年。世界ではベトナム、中東、アフガニスタン戦争など大規模な内戦を含めて戦禍が絶えなかった。日米安保体制に反対の革新陣営が声高に主張し続けてきたように日本が直接戦争に巻き込まれることはなかった。日米同盟による抑止力効果のおかげだが、日本だけがいつまでも「平和」を享受することができるのか、考える時季でもある。
50年前の1972年は世界政治、外交激動の年であった。前年の二つの「ニクソン・ショック」(72年大統領訪中発表、金ドル交換停止)に続くニクソン訪中・米中共同声明(上海コミュニケ)は戦後の米ソ冷戦構造に大きな衝撃を与えた。71年7月15日のニクソン訪中発表は日本政府にとって「青天の霹靂」であった。当時の佐藤榮作首相は日記に「牛場(信彦駐米)大使に対しては、発表前わずか二時間ばかり前にロジャース(国務)長官から通報をうけ」と記した(佐藤榮作日記第四巻)。「対米追随」と批判されてきた日本外交に「頂門の一針」となった。この年4月、名古屋市で開催の世界卓球選手権大会で中国が米国チームの訪中受け入れを発表、米中「ピンポン外交」が世界の耳目を集めた一週間後にはニクソンが非戦略物資の直接貿易など5項目の対中緩和措置を発表していたにもかかわらず、日本政府はキッシンジャーの秘密外交による米中接近を察知することすらできなかった。
72年には69年11月の佐藤・ニクソン共同声明による沖縄の施政権返還が実現した(5月15日)。しかし、その裏で沖縄返還という政治公約を掲げた佐藤氏と、大統領選挙の「南部戦略」として日米繊維問題の解決を強く要求していたニクソン氏の「取り引き」が政治問題化し、沖縄への有事の核持ち込み「密約」問題として後世に引きずる結果を招いた。「密約文書」作成のいきさつについては佐藤首相の密使としてキッシンジャー大統領補佐官と秘密交渉をした国際政治学者・若泉敬氏の大著「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(1994年刊)に詳説されている。72年はニクソン・ショックを受けた日本の田中角栄首相の訪中による日中共同声明・国交樹立(9月29日)が特筆される。満州事変以来の日中間の戦争状態に終止符を打ち国交を正常化したことが、日中関係だけでなく東アジア情勢の転換点となった。しかし、日本による対中円借款(3兆円)を受けた経済発展で世界第二の経済大国になった中国は尖閣諸島や南シナ海での領海侵犯など一方的な主権の主張と海洋の違法進出を進め、その拡張主義政策は日本やアジアの領土主権、安全保障に対する最大の脅威になった。
2022年はロシアのウクライナ侵略戦争で明けた。侵攻5ヶ月を迎えロシアは占領地域のロシア化による領土併合を進めようとしている。30年前のソ連邦崩壊を歴史的な屈辱と受け止めているプーチン大統領は「失地回復」を目指している。ソ連邦はちょうど100年前の1922年にロシア、ウクライナ、白ロシア(ベラルーシ)などで結成された。プーチンは旧ソ連邦の版図の再現による「ロシア帝国」の再興を狙ってウクライナを侵略し、中国や北朝鮮、イランも加えた専制主義国家連合を形成して、日米欧のリベラル国際体制への対抗軸としての国際秩序を目指しているようだが、国際法違反の軍事侵略に訴えるロシアそのものが世界の平和と安定に対する「最も重大で直接的な脅威」(北大西洋条約機構=NATO=戦略概念2022)なのである。
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