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2022-08-05 00:00
防衛費増額問題にみる危うい考え
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
「麻生太郎・自民党副総裁が4日、千葉県市川市内での街頭演説で、安全保障問題をめぐって『弱い子がいじめられる。強いやつはいじめられないんだ』と発言した。いじめによる自殺で一人娘を亡くし、いじめ問題に取り組むNPO法人『ジェントルハートプロジェクト』理事の小森美登里さんは『人権意識のない人間は国会議員になってはだめだ』と批判する。違いを認め合うこと、多様性が大切だといわれているのに、強い/弱いという表現で人を決めつけ、分断する人権侵害の発言で、違和感があります。人権意識の希薄な方に国会議員をやってほしくありません」(2022/07/08朝日新聞)。
麻生副総裁の譬えの稚拙さはいつものとおりだが、現実の国際関係において「強い国が弱い国をいじめる」というようなことが本当にあるのだろうか。そうではなくて、国家間で争いがおこるのは、二つの国の互いの「憲法原理の相違」によって、二国間に発生した問題のソリューションが互いに相容れられないことによる、つまり問題解決のための手段・方法が異なること、それを互いに譲り合うことができなくなるまでに齟齬が大きくなることによって戦争は起こる、というのが社会科で教わる「戦争」だ。これに対して、麻生氏が言いたかったのは、武器をたくさん持っている強い国は弱い他国を虐めることができるから、虐められる側にならない国作りに励もうではないかと言っているのである。
他方、小森美登里さんが主張しているのは、腕力という物理的・形而下的相違によって暴力によって他者の尊厳を傷つけるすぐれて動物的な行為を人間社会において認めてはならないと言っているのである。こういう観点からすれば、麻生氏の国家間の政治的トラブルを「強者」と「弱者」の間の暴力的関係性の比喩として説くことの不適切さが、政治指導者の資質を欠いているという意味で大いに非難されるべきである。
麻生氏の祖父は吉田茂元首相で、外交官として日本と覇権国と二つの国家の間の克服できない抜き差しならぬ憲法原理の相違に悩まされた。戦前の日本国が遅れた帝国主義国家として立つことによって破綻していく姿を熟視して、戦後に当時の世界の普遍的な国家原理たる「民主主義」国家の政治指導者としてこの国の戦後礎石を整えた人であった。麻生氏はその祖父の膝の中で聞いたであろうその生き様を全く血肉とできなかったのだろうか。
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