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2023-01-10 00:00
昨年末の日中対話「日中50年の関係から読み解く次の50年」に参加して
河村 洋
外交評論家
昨年12月22日に開催された日中対話「日中50年の関係から読み解く次の50年」の公開ウェビナーでは中国に関して意外な事柄を知るとともに、発表内容を通じて様々な疑問も浮かんできた。そうした事柄について述べてみたい。
まず質疑応答にて日中関係の深化にはやはり中国の人権問題での改善が必要ではないかと私は質問したが、これには中国側のパネリストより世界には様々な価値観があるので中国にも独自の感が価値感があるとの返答だった。まるでイスラエルの右翼系歴史学者ヨラム・ハゾニー氏のナショナリスト民主主義、あるいはロシアのウラジスラフ・スルコフ元大統領補佐官の主権民主主義を思い起こさせる返答には、どうやら一般的な抽象論では双方の見解の相違を容易に埋められないように思われた。
人権に関してはむしろ日中間でのより具体的な問題を質問すべきだっただろう。それは日中交流を学界や実業界など民間で進めようにも、まず日本人およびその他外国人が中国で身の安全が確保できるかということである。実際に中国との政治的関係が悪化した国の国民は、しばしば罪状不明で身柄を拘束されてしまう。尖閣領土紛争での日本企業の駐在員や、フアウェイ・スパイ事件でのカナダ人人権活動家らの逮捕がそれに当たる。このような環境で、日中の安全な人的交流促進が望めるとは思えない。やはり人身の安全 となると、これはアメリカの価値観だとか中国の価値観だとかいった問題を超越した重要な問題と思われる。
彼らのように中国当局から突然身柄を拘束された者の多くは日本政府やアメリカ政府、あるいはその他の国の政府のために働いているわけではない。ただ民間の立場で企業活動や国際交流に従事している者ばかりである。そして本来なら日本国内で日中親善の世論形成に関わり、靖国右翼をはじめとするチャイナ・ホーク達に対抗できたかも知れない人々である。あろうことか中国当局は彼らに必要もなく辛い目に遭わせ、わざわざ反中感情を醸成しているのだ。この件に関してはアメリカの影響はほとんど関係なく、純粋に日中二国間の問題である。「人権」という抽象概念でなく、こうした具体的な問題で私が質問をしていれば中国側パネリストの反応も違っていたかも知れない。
このウェビナーで私が驚いたことは、中国側からの安倍政権礼賛である。故安倍晋三首相と言えば国際社会に対して対中防衛の必要性を強く訴え、日本国内のチャイナ・ホークから絶大な人気を誇る存在である。だが中国側の議論を聴くと安倍外交には別の一面があったことを思い知らされる。確かに安倍氏には祖父の岸信介首相の影響を受けて「日本を取り戻す」と叫ぶナショナリストの側面と、西側民主主義諸国との戦略的パートナーシップを重視する国際協調派の二面性があった。そして安倍氏の「戦前懐古志向」は対中強硬一点張りではなく、アジアとの友好関係重視でもあった。そう考えると中国側の安倍氏礼賛も納得できる。
その一方で中国の識者達が日本の政治や外交を論ずる際に、どうも無意識に属人的な観点に立っていないかという疑問が浮かび上がってきた。先のウェビナーでは安倍政権下での日中関係進展に対し、菅および岸田政権下では両国の関係で緊張が高まったというコメントが中国側より相次いだ。しかしこれは時の首相個人の性向ではなく、国際環境の変化によるものではないか?そもそも菅義偉前首相も岸田文雄現首相も安倍レガシーの継承者である。さらに言えば岸田氏は安倍氏よりリベラルな世界観の持ち主で、「日本を取り戻す」などという「戦前懐古志向」、さらに言えば戦後レジーム・チェンジに対して若干の「プーチン的怨念」を匂わせるような発言はほとんどしていない。本来なら岸田政権の方が安倍政権よりも日中関係を発展させられる可能性がある。それが実際には両国の関係は悪化している。そうなると習近平政権下の中国外交が国際環境にどのような影響を与えているか、再検討する必要があると思われる。
何よりも日本は人治国家ではない。歴史的に見ても、日本では天皇に代わって国家統治に当たった関白や将軍さえ「君臨すれども統治せず」となってしまった。これは中華皇帝が絶大な権力を揮った国とは全く違うのだ。然るに中国人が一般的に日本の政治および外交を属人的に考える傾向があるのではないかと思われる言動は、今回のウェビナーに限らず見られる。その典型的な例は田中角栄および福田赳夫両首相(当時)による日中国交正常化および日中平和友好条約締結に対し、多くの中国人がしばしば示す感謝の意である。こうした例は他の国々ではほとんど見られない。アメリカ人がサンフランシスコ平和条約によって吉田茂首相(当時)に大々的な謝意を示すことはほとんどない。ロシア人も日ソ共同宣言に基づく国交回復によって鳩山一郎首相(当時)に謝意を示したりしない。アジアでも韓国人が日韓基本条約による国交正常化で佐藤栄作首相(当時)に謝意を表明したりしない。これらに鑑みれば、中国人が日本の指導者達から受けた恩と功績に対して示す仰々しくも映る謝意は、中華文明の伝統に基づく美しき礼節なのかも知れない。もしそうであるなら、日本側としてもそうした文化的伝統には敬意を払うべきだろう。
しかし私が問題視することは、その根底に中国人には人治国家の意識があるのではないかということである。もちろん先のウェビナーでの中国側パネリスト達は国際政治学者および日本の専門家として、この国の政治文化について拙論などかざさなくても釈迦に説法だろう。しかし中国人全体として脳で国際政治や日本の政治文化を理解しても、ハートでは人治国家意識が抜けないのではないか?以前から中国の人々の世界観には意識を属人的な政治意識を朧げに感じていた、このウェビナーを通じてそれがより鮮明になった。
次に中国人が事あるごとに説く漢字と儒教文化を共有する国同士で本来あるべき友好関係であるが、これは場所とタイミングをわきまえないと民族、文化、宗教による連帯感の一方的な主張に陥る懸念もあると思われる。昨今の国際情勢ではロシア軍のウクライナ侵攻もあり、そうした主張が相手には「中華版ルースキー・ミール」のように聞こえかねないのではないか?世界の歴史を鑑みれば、そうした共通性に基づく連帯の主張が時には相手の立場を無視したものだったこともあった。その最も典型的な事例は中世の十字軍で、パレスチナや北アフリカでイスラム教徒と平和共存していたアラブ人キリスト教徒にとって、ローマ教皇庁とヨーロッパ王侯の勝手な都合で押し寄せてくる遠征軍には当惑させられた。第二次世界大戦での大東亜共栄圏も同様で、アジア人にとっては日本流の文化と価値観の押しつけには当惑させられた。その他にも19世紀から第一次世界大戦にかけてのパン・ゲルマン主義やパン・スラブ主義など、大国の自己都合による民族、文化、宗教での一体感には疑問の余地がある。
ただし日中両国が「引っ越しのできない隣人同士」ということには同意する。日本にとってそのような近隣諸国との関係とは、アングロサクソン系のオーストラリアとニュージーランド、カトリックのフィリピンにも当てはまり、漢字・儒教文化圏に限らない。日本人が求めているアジア太平洋の善隣関係とは、民族宗教を越えて「自由で開かれた」ものである。こうした発想に基づいて、日本はこの地域にアメリカ、イギリス、EU諸国、インドなどの関与を促している。
このように難しい日中関係の改善には70年代から80年代のように共通の敵が必要であるならば、習近平政権はグローバル・コモンズへの脅威にもっと真剣に対処すべきではないかと思われる。アメリカのバイデン政権が公表した国家安全保障戦略では、こうした問題では中国との協調も提唱している。まさに環境ロビーの影響を強く受ける民主党らしい主張だが、習近平政権にはそれをうまく活用して対米関係での緊張緩和を図る動きも見られない。ちなみに日本でも菅、岸田両政権ともカーボン・ニュートラルな経済政策を目玉としている。にもかかわらず中国の現政権は全人類の「共通の敵」にはあまり関心がないように見受けられる。
昨年エジプトで開催されたCOP27では中国に目立った動きはなく、そして昨今のコロナ禍でも中国自身が発生源でありながら世界に重要な情報を提供していない。これには一部で「親中」とさえ言われたテドロス・アダノムWHO事務局長も失望の意を表明するばかりである。やはり日中関係の真の改善には二国間の個別の問題解決と両国の対米関係もさることながら、中国現政権が国際公益のためにどのように「責任ある大国」になるかが重要であろう。
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