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2023-05-29 00:00
気候安全保障-気候変動の地政学リスク
関山 健
京都大学大学院准教授
G7広島サミットで「エネルギー安全保障、気候危機、地政学リスクを一体的に捉える」必要性が共有された。
2022年12月に改定された『国家安全保障戦略』においても、「気候変動は、人類の存在そのものに関わる安全保障上の問題」との認識が示されている。
こうした気候変動の地政学リスクや安全保障への影響は、日本ではまだまだ馴染みが薄いが、国際社会では10年以上も前から議論されてきた。
例えば国連安全保障理事会では、2007年以来、気候変動、資源・エネルギー・水の枯渇、生態系変化などの問題が安全保障に与える影響について議論を重ねてきている。またEUも、その共通外交・安全保障政策にかかる文書の中で、気候変動、自然災害、環境の劣化は、コミュニティの回復力や生命が依って立つ生態系に広範囲な影響を及ぼし、世界中で多くの紛争を招いているとの認識を示している。
政府機関のみならず、カナダのトロント大学、米国のスタンフォード大学、ノルウェーのオスロ国際平和研究所、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所、シンガポールの南洋理工大学など、多くの機関が気候安全保障の研究を積極的に進めてきた。
この点、日本では、2020年代になるまで、ごく限られた例外を除いては、気候安全保障という概念が語られることはほとんどなかった。例えば防衛白書が気候変動による安全保障環境や防衛への影響を初めて取り上げたのは2021年になってのことである。それ以前は1970年度から2020年度までの防衛白書の索引語を調べてみても、環境安全保障や気候安全保障という語は見当たらない。
しかし気候変動の地政学リスクは、日本が無視してよいほど重要度の低い問題ではない。
筆者が近著『気候安全保障-気候変動の地政学リスク』(日本経済新聞出版)で詳述しているとおり、気候変動がもたらす異常気象、自然災害、海面上昇などの環境変化、あるいは脱炭素、エネルギー転換、地球工学などの対策は、複雑な因果のプロセスを経て、時に反政府暴動、民族紛争、内戦、さらには国家間の衝突につながりうる。
特に、農業への依存度が高い国、低開発の国、ガバナンス能力の低い国などは気候変動の影響に対して脆弱であるため、これを遠因とする紛争や暴動のリスクもその分高くなる。
この点、日本は、気候変動の影響に対する適応力が比較的高く、また、激しい民族対立などの紛争の温床も国内にない。そのため、気候変動が日本国内で内戦や大規模な反政府暴動を招く事態は想像しにくい。
しかし日本も、
1)周辺海域における領有権や排他的経済水域を巡る対立激化
2)アジア太平洋諸国からの気候移民の増加
3)アジア各国を中心としたサプライチェーンや現地市場の損壊による経済低迷
などによって、近隣諸国との衝突や国内治安の悪化といった事態に晒される可能性は十分ある。
こうした気候安全保障リスクは、気候変動の影響とともに今後顕在化してくるものだ。また、気候変動による紛争や暴動のリスクには議論の余地があり、不透明なところもある。仮にそれが現実味を帯びてくるとしても、今日明日のことではない。
しかし残念ながら、気候変動は現実のものとなりつつある。気候変動に関する最新の科学的知見をまとめたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第6次評価報告書によれば、世界平均気温は19世紀後半と比べて既に1.1度ほど上昇しており、年間降水量の増加や平均海面水位の上昇も加速している。近年、世界中で深刻化している干ばつ、猛暑、豪雨などの異常気象も、気候変動との関係が指摘されている。
気候変動の影響は今後さらに顕在化してくる。世界は今、2050年のカーボンニュートラル達成に向けて努力を始めているが、仮にこれが達成されても、今世中ごろ(2041~2060年)の世界平均気温は19世紀後半と比べて1.2℃から2.0℃上昇するとIPCC報告書は述べている。カーボンニュートラルが達成できず、今世紀半ばまで現状の水準で温室効果ガスの増加が続く場合には、平均気温は1.6℃から2.5℃上昇する見通しだ。
平均気温がたった2度上昇しただけで、気候変動前の19世紀後半には50年に1回の頻度でしか発生しなかったような異常な熱波の発生確率が13.9倍になるという。同様に、19世紀には10年に1度の頻度でしか起こらなかったような深刻な干ばつも、平均気温が2度上昇した世界では2.4倍発生しやすくなると予想されている。
気候安全保障リスクは、こうした気候変動の影響とともに現実味を増してくる。それは今日明日のことではないが、気候変動は「脅威の乗数」として増幅的に社会の平和と安定を脅かしかねず、また、いったん歯車が動き出せば不可逆的かもしれない。
最悪の事態を想定して、それに備えるのがリスク管理の要諦である。個々の企業においても政府においても、自らに関わる気候安全保障リスクの存在を今から意識し、回避の策を先んじて講じておくことは、それほど馬鹿げたことではない。
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