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2023-08-23 00:00
「ポストコロニアル」のアカデミズムと混乱する現代世界の「物語」
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
ロシアのプロパガンダ情報戦に代表される虚偽情報(ミスインフォメーション/ディスインフォメーション)の手法が、恒常的な現代世界の問題として認識されている。事実とは異なる情報を意図的に拡散させ、人々の情勢認識を混乱させることを狙うものだ。情報量が飛躍的増大した現代世界の特性を逆手にとり、情報の玉石混合状態を意図的に作り出すことによって、何が事実であるかをわからなくさせるのが、虚偽情報の目的だ。ただし虚偽情報は、ただ単にいたずらに乱雑に拡散されるものではない。いがいにも、虚偽情報には、体系性がある。一定の継続した物語性があれば、虚偽情報拡散の効果が高くなるからだ。「世界はディープステートによって支配されている」「諸悪の根源はアメリカの帝国主義である」「全ての戦争は軍産複合体の陰謀によって引き起こされている」といった、わかりやすい物語が、たいていの虚偽情報の裏側に隠されている。一つの物語だけで全てを理解したい、という人々の願望を刺激することができれば、事実が何であるかに対する人々の関心を低下させることができる。それが、虚偽情報拡散の手法である。もし「物語」が、ある種のイデオロギー的信条に訴えるものであれば、拡散はいっそう容易だ。たとえば反米主義者は、世界の戦争が全てアメリカによって引き起こされている、という「物語」をいつも求めている。もし誰かがその願望を満たしてくれる言説を発信してくれるのであれば、「物語」渇望者は、喜んで虚偽情報を拡散させる。ロシア・ウクライナ戦争が継続中の国際情勢において、ロシアによる虚偽情報拡散の活動が、大きな問題として深刻視されている。
その具体的な手法は多岐にわたるが、一つのわかりやすい大きな物語は、単純である。「全て西側が悪い」虚偽情報の具体例がどれほど多岐にわたっていようとも、公的チャンネルにおいても非公式チャンネルにおいても、この一つのわかりやすい大きな「物語」は、ロシア系の虚偽情報拡散の場合には、不変であると言ってよい。「物語」が固定されているので、事実が改変される。ロシアの虚偽情報拡散とは、どれほどこの「物語」を適用して世の中の出来事を説明することができるか、というコンテストのようなものだ。「物語」の適用が至上命題なので、事実のほうが捏造される。ロシアのワグネルがアフリカ諸国に浸透している。ここ数年で特に深刻になっているのが、中央アフリカ共和国、マリ、ブルキナファソといった治安情勢の悪化が甚大な国々において、国連やEUによる国際的な支援を見限り、ワグネルに期待していく傾向が顕著になっていることだ。下級軍人が、マリやブルキナファソで次々とクーデタを起こした。マリ、ブルキナファソなどの隣国のクーデタ政権に影響されるように、7月末には、アメリカやフランスの軍事プレゼンスを受け入れていたニジェールでクーデタが起こった。これらのクーデタ政権に特徴的なのは、「欧米の植民地主義との戦い」、といった主張をクーデタの正当化に用いていることだ。
もちろん現代アフリカに蔓延する諸問題に、植民地の歴史が深く関わっていることは間違いない。西アフリカの仏語圏諸国の諸問題に、フランスの外交・援助政策が相当程度の責任を負っていることも確かだろう。サヘルの混乱の直接的な契機となったリビアにおける「アラブの春」の政変が、NATOの軍事介入によってかえっていっそう歪なものになったことも否定できない。しかし、だからといって、民主的選挙で選出された政治指導者を、軍人がクーデタで除去する行為が「欧米の植民地主義との戦い」のスローガンで正当化される、と主張するのは、どう考えても論理の飛躍だ。現代のサヘルにおける治安状況の悪化は、アル・カイダ系勢力とイスラム国系勢力が入り乱れて行っているテロ活動によって引き起こされている。フランスをはじめとする欧米諸国や国際機関は、こうしたテロ活動を撲滅するために、アフリカ諸国政府と協力してきた。その努力に限界があった。問題ある行動が見られた場面も多々あった。態度や政策に改善の余地があると思われる事柄もたくさんあった。だがそれにしても、それらの問題が「植民地主義」によって引き起こされている、とまでは言うのは、言葉の濫用だろう。たとえばマリの人々は、治安状況に抜本的な改善をもたらすことができない国連やEUやフランスや周辺諸国及び自国政府の軍事行動に、大きな苛立ちを覚えている。そのため、それらの外国軍が、「マリを二つに分断するため意図的にテロ組織を支援している」、といった荒唐無稽な陰謀論の虚偽情報が流れてくると、喜んで飛びついてしまう。「欧米の植民地主義との戦い」といったレトリックは、ご都合主義的な政治操作のためのミスインフォメーション/ディスインフォメーションだと言わざるをえない。いくらフランスなどの「西側」諸国の努力が無益なものだったとしても、その代わりにロシアに期待をしようとするのは、特に、軍事会社に過ぎないワグネルの国際人道法を軽視したテロ組織掃討作戦に期待をしようとするのは、悪手と言わざるを得ない。
ただそれでも、サヘルの劣悪な治安状況と閉塞感にあふれた貧困は、人々にまず手頃なスケープゴートを探させ、次に安直な代替案への期待を膨らませるようにさせる。スケープゴートを見つけるための安直だが、魅力的な、大きな「物語」が、「欧米の植民主義との戦い」だ。欧米諸国の大学で「ポストコロニアル・スタディーズ」が隆盛して久しい。日本の大学も例外ではない。ポストコロニアル・スタディーズは、植民地化の歴史をたどるだけの学問的視座ではない。独立国となった旧植民地地域が、依然として様々な文化的・経済的・政治的な植民地化の残滓の問題を抱えていることを、現代的視座で暴き出そうとするのが、「コロニアル・スタディーズ」の中心的視座である。この分野の古典は、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』(1978年)だが、サイードがパレスチナの出自を持っているとはいえ、ニューヨーク育ちでコロンビア大学で教鞭をとっていたアメリカ人であったことは、象徴的だ。特に冷戦終焉後の時代に、欧米諸国の大学では、特にアメリカ東海岸のアイビー・リーグの有名大学などにおける人文科学系の教員たちが、「ポストコロニアル」な視点での学術的議論を競い合った。大学の教員の間では、欧米諸国の伝統的文化は、否定されるべき「コロニアル」なものだという固定観念が蔓延した。非欧米地域の人々や社会は、知識人の「ポストコロニアル・スタディーズ」の視座によって発掘されるべき隠された豊かさを持っていると仮定された。「ポストコロニアル・スタディーズ」興隆の歴史は、1960年代末に学生運動や反戦運動に参加したベビーブーマーたちの多くが大学で職を見つけたという事情と重なり合っている。
この欧米諸国の有名大学における「ポストコロニアル」な思潮は、明らかに今日の「ポリコレ」の「キャンセル・カルチャー」の運動とも、結びついている。つまりアメリカなどにおける保守層とリベラル層の断絶が深まりとも、無関係ではない。西アフリカにおけるクーデタは、「キャンセル・カルチャー」の思潮の傾向を帯びている。目の前の諸問題の原因を、歴史的な植民地主義の負の遺産に求め、直近の政策課題との関わりは度外視し、「植民地主義との戦い」のスローガンを優先させる手法は、いわば欧米の有名大学の「ポストコロニアル・スタディーズ」を教える大学教員たちが得意としてきた手法だ。果たして「ポストコロニアル・スタディーズ」は何を求め、どのような改善策を提供しようとしているのか。たいていの場合、「ポストコロニアル・スタディーズ」が政策的含意のある処方箋に焦点をあてることはない。「植民地主義との戦い」は、ほとんど永久革命のようなものであり、批判と糾弾が不断に続いていくだけに終わったとしても、それは学術的視座としての「ポストコロニアル・スタディーズ」が思い悩むようなことではない。だが果たして「ポストコロニアル・スタディーズ」の信奉者たちは、「欧米の植民地主義との戦い」をスローガンにして、民主的に選ばれた政治指導者を追放し、ロシア政府やワグネルに事態の打開を期待するクーデタ政権が拡散している状況を見て、何を思うのか。「ポストコロニアル・スタディーズ」は、「ディスインフォメーション/ミスインフォメーション」が蔓延する風潮と、あるいはロシア政府やワグネル、さらにはアフリカのクーデタ首謀者たちが掲げる「欧米の植民地主義との戦い」というスローガンと、波長を合わせてしまうものを持っているのか。仮に違うとしたら、何が違うのか。21世紀の世界で、大学人が直面している大きな問いだ。
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