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2023-09-07 00:00
混迷続くアフガニスタン・・タリバン復権から2年
舛添 要一
国際政治学者
アフガニスタンでは、2年前の8月15日にタリバンが復権した。タリバンとは、イスラム原理主義の神学生らが、1994年に結成した武装集団である。マドラサ(イスラム神学校)の学生をアラビア語で「タリブ」と呼び、その複数形をパシュトゥー語で「タリバン」という。この名称がメディアでよく使われるようなったのである。そして、1996年には、アフガニスタンで政権を樹立した。
アフガニスタンでは、1978年に共産主義を掲げるアフガニスタン人民民主党が政権に就いた。しかし、これに対抗する武装勢力は激しい抵抗運動を展開し、全土を制圧する勢いとなった。そこで、共産主義政権はソ連に助けを求めたのである。この要請に応えたソ連のブレジネフ政権は、1979年12月24日、アフガニスタンにソ連軍を侵攻させた。ムジャーヒディーンと称する兵士たちは、抵抗活動を「聖戦(ジハード)」と位置づけて戦ったが、世界中からイスラム教徒の義勇兵が馳せ参じたのみならず、アメリカや隣国のパキスタンが背後で武器援助などを行った。こうして泥沼の戦争が10年も続いたが、ゴルバチョフの登場により、1989年2月15日にソ連軍の完全撤退が完了した。
ソ連軍撤退の後には、アフガニスタンは内戦状態となり、パキスタンから潤沢な資金と武器を供与されたタリバンが勢力を拡大していき、1996年には国土の大半を支配下に置いたのである。アルカイダのビンラディンは、スーダンにいたが、1996年5月に拠点をアフガニスタンに移し、そこからテロ活動を指揮した。アルカイダは、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロを行った。そこで、アメリカはアフガニスタンに対して、ビンラディンの身柄を引き渡すように要請したが、タリバンは拒否した。アメリは、これに反発し、10月にアフガンスタンに侵攻し、タリバン政権を壊滅した。タリバンは南部に逃れ、パキスタンからの支援で生き延びていった。アフガニスタン戦争の後、米軍の駐留下で、新しい国作りが始まった。ところが、そうして誕生した政権では、汚職が絶えず、政治も行政も十全には機能しなかった。そして、国民の不満は高まり、外国支配からの脱却を訴えるタリバンの主張に耳を傾ける者も増えたのである。
米軍は、当初わずか9千人の兵士を配置したのみで、それでは占領行政がうまくいくはずがなかった。2003年にはイラク戦争が始まり、米軍はそちらに勢力を集中させた。その間もアフガニスタン政府の腐敗は拡大し、国民は反発し、タリバン復権への道を開いたのである。米軍の駐留は、アフガニスタンに統治能力のある政府を育てるには至らなかった。そして、20年間の駐留の末、2021年8月15日に撤退したのである。12万人がアフガニスタンから脱出する悲劇となった。タリバンは、イスラム法によって統治するとして、たとえば女性の教育や就労を制限している。先月には美容院の閉鎖を命じている。国際社会はこれに反発し、タリバン政権を承認する国は1カ国もない。女性差別の撤廃が経済援助の条件だと圧力をかけているが、今のところ、タリバン側は、それに反応していない。預言者ムハンマドの活躍した7世紀と今では時代が違う。タリバンには柔軟な対応を望みたいが、今のところ、その兆しはない。
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