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2023-10-12 00:00
イギリスのインド太平洋傾斜と対中関係における問題点
河村 洋
外交評論家
イギリスはインド太平洋地域での法の支配擁護を目指す「自由で開かれたインド太平洋」作戦執行の多国間有志連合において、特に中国の海洋進出に鑑みれば重要なパ-トナーである。2021年3月にジョンソン政権が“Global Britain in a competitive age”と題した安全保障、開発、外交の統合見直しを発刊して以来、イギリスはインド太平洋への戦略的傾斜を進めている。この戦略に則って、イギリスは日本およびインドとの戦略的パートナーシップを深めている。特に日本とは今年に入ってRAA(日英部隊間協力円滑化協定)に調印し、相互の軍事施設へのアクセスと両国軍の訓練での協力が円滑化されることになった。また両国はイタリアとともにGCAP(グローバル航空戦闘プログラム)の研究開発を行なっている。インドとは、イギリスはロシア支援のFGFAに代わる国産次世代戦闘機への技術支援を提供している。さらにアメリカとオーストラリアとはAUKUSにも調印した。それらの合意に鑑みて、イギリスは日本、インド、オーストラリアといったインド太平洋地域の主要国とともに、そして最も重要なことにアメリカとの「特別関係」を通じ、中国に対抗するFOIPに深く関与するものと想定されている。しかし内政上の制約、中でも労働党金融ロビーによって、イギリスの対中抑止への確固とした貢献が低下することも考えられる。またスナク政権は対露姿勢とは違って、対中姿勢は必ずしもとまっているわけではない。
まず労働党について述べたい。ジョン・ヒーリー影の国防相は現在のウクライナでの戦争勃発に伴うロシアの脅威増大に鑑みて、ジョンソン政権が手を付けたインド太平洋傾斜という保守党の国家安全保障戦略に疑問を呈した。ヒーリー氏は本年2月にイギリスは自国の限られた予算を本土と欧州大西洋地域に集中すべきとの趣旨で、「イギリス軍にとって優先すべきは最大の脅威に晒されている場所であり、経済的な機会のある場所ではない」と発言している。労働党の主張の要点は「イギリスはヨーロッパ、大西洋、北極圏の防衛での要求水準を満たすために軍備を再強化すべきだが、現在はウクライナ支援のために兵器が枯渇しつつある」というものである。しかし労働党は中国の脅威が工作員、サイバー操作などを通じてイギリス本土迫っているにもかかわらず、それを過小評価するのだろうか?キア・スターマー現党首は自らをブレア路線継承者だとしているが、現在の党の国防政策案は1968年にアデン以東からの英軍撤退を決定したハロルド・ウィルソン政権さながらで、トニー・ブレア政権のように世界を股にかけて見かけの国力以上にイギリスの実力を発揮しようとしているようには思われない。
労働党が反植民地主義ウォークのイデオロギーに囚われていないなら、世界全体でのイギリスの戦略的要求でどのようにバランスをとるのだろうか?RUSI(王立防衛安全保障研究所)のヴィール・ナウエンス氏は労働党に「インド太平洋への傾斜を否定するよりも自分達の優先順位に応じて柔軟に対応するように」と提言している。地理的な距離はインド太平洋から手を引く理由にはならない。ともかく保守党の国防計画では日本やオーストラリアに恒久的な軍事的プレゼンスが主張されてはいない。労働党はフランスと日本のインド太平洋戦略は東アフリカから南太平洋まで視野に入れていることを忘れてはならない。さらにナウエンス氏は「イギリスは必ずしもインド太平洋の最遠隔地に軍事的プレゼンスを維持する必要はなく、インド洋でも中東、東アフリカ、シンガポールにある既存の英軍施設を有効利用すべきだ」とも述べている。それはイギリス軍が極東有事に即応し、中国や北朝鮮がこの地域で航行の自由、領土の一体性、核不拡散といった国際的なルールと規範を破る事態に対処するうえで役立つだろう。ヒーリー影の国防相は限られた財源を強調しているが、デービッド・ラミー影の外相は傾斜を否定せず、「3C」を提案している。すなわちイギリスは中国と地政学的に挑戦(challenge)と競合(compete)の関係になるが、気候変動のような問題では必要に応じて協力(cooperate)してゆくということである。いずれにせよ、私にはヒーリー氏の見方は海洋通商国家というイギリスの歴史的な立場を否定するものと思えてしまう。
外交の一貫性のためにも、特に日本とオーストラリアといったインド太平洋地域でのイギリスのパートナーは労働党の影の内閣との対話を通じ、グローバルな安全保障とこの地域での共通の利益のためにFOIPの重要性を再確認する必要がある。非常に重要なことにイギリスの総選挙は2025年1月28日以前に行なわれる予定だが、それは2024年11月5日に行なわれるアメリカ大統領選挙とも近い日程である。イプソス社が8月11日から14日にかけて行なった世論調査では、イギリスの有権者の56%が来る選挙ではスターマー氏がスナク氏に勝つと見ている。スターマー氏は12項目中9つで優位にあり、特に「普通の国民をよくわかってる」、「イギリスが直面する課題を理解している」、「指導者として経験豊富」といった点ではスターマー氏に分がある一方で、スナク氏は「危機管理に長けている」という項目で優位に立っている(参照リンク:https://www.ipsos.com/sites/default/files/inline-images/Slide25_3.JPG)。FOIPには元来多国間の性質があるので、クォッド加盟国とその他の域内およびグローバルなステークホルダー諸国は、イギリスで労働党が政権を取った場合には過激な反植民地主義志向に陥らぬよう訴える必要がある。ともかくスターマー氏は労働党の国家安全保障戦略を全世界に向けて明確にする必要がある。本年5月には彼自身の当選の折にはドイツとの二国間安全保障および防衛条約を早急に結ぶ所存だとも語っている。しかしヒーリー氏が唱える欧州大西洋中心の国防とラミー氏が唱えるインド太平洋知己での中国に対する3C政策を、スターマー氏がどのようにすり合わせてゆくのか定かではない。
問題は左翼だけではない。キャメロン政権下で英中黄金時代の立役者だったジョージ・オズボーン元財務相は、政界引退後にフィンテックのロビイストとなり中国やロシアからのマネーのロンドン金融市場への受け入れを図っている。デービッド・キャメロン氏はブレグジット投票の結果を受けて正解を引退したが、オズボーン氏は一議員として下院に留まった。しかし現職議員でありながら『イブニング・スタンダード』紙編集長に就任したために、議員辞職に追い込まれた。財務相在任時よりオズボーン氏はロンドンをフィンテックの国際的な拠点にしようと考えていたが、その政策では中国との関係を優先するあまりに人権や英米関係が軽視されていないかと大いに懸念されていた。またキャメロン氏も2015年のシンガポール歴訪では、中国への刺激を避けるために東南アジアでのイギリスの長年の同盟諸国の安全保障への関与強化を拒んだ。オズボーン氏にはロシアとの間にも不可解な関係があり、2008年にはこの国のオリガルヒから献金を受けている。ブレグジットはイギリスと国際社会にとって災難ではあったが、キャメロン政権が続いていればオズボーン氏が親中露的なフィンテック政策を推し進めて国家安全保障が犠牲になっていたかも知れない。
オズボーン氏が指導的な地位を占める金融ロビーを代表するかのように、HSBCホールディングス社のシェラード・カウパーコールズ広報部長は本年8月に「イギリス政府はアメリカに追随して中国との経済関係を縮小するほど『弱腰』だ」と批判した。こうした発言はあまりに「市場志向」である。確かにロンドンはソ連のユーロダラーやOPEC諸国のオイルダラーといった、アメリカの規制枠外の通貨で取引できるオフショア金融市場ではあった。しかしロシアのウクライナ侵攻によって冷戦時代の合理的な抑止という考え方は崩壊し、現在では金融市場は政治的リスクを抱える外国からのマネーを以前より厳しく拒絶する必要に迫られている。にもかかわらず、イギリスが開かれた経済を維持しながら中国、ロシア、その他リビジョニスト諸国のマネーロンダリングを阻止することは極めて難しい。中国とのサプライチェーンとロシアからのエネルギ資源依存に関して、ドイツとフランスがしばしば批判に晒されているが、イギリスが両件でどう対処するかも注視すべきである。
スナク政権は対中関係で黄金時代を模索しようとはしないだろうが、現首相は財界志向でもある。オックスフォード大学のPPE(哲学、政治学、経済学を融合的に学ぶ学際過程で、英政界や言論界などに多くの著名人を輩出している超エリート・コース)専攻で学士号を取得したスナク氏は、スタンフォード大学ではMBAを取得し、そこでインドIT業界の大物ナラヤナ・ムルティ氏を父に持つアクシャタ・ムルティ夫人と出会った。スナク氏自身も政界入り以前にはヘッジファンド業界でキャリアを築いていた。そうしたビジネス本能に鑑みれば同氏が中国との経済的利益を優先する誘惑に駆られ、英中黄金時代の終焉を公言したとはいえ、インド太平洋とイギリス本土でのこの国の脅威に中途半端な態度になることも否定はできない。 だからこそ下院外交委員会の議員諸氏が、今年8月末のジェームズ・クレバリー外相の訪中の際に非常に大きな懸念を表明したのである。同委員会委員長で保守党のアリシア・カーンズ下院議員を中心に、英本土での中国のスパイ活動、新疆ウイグルとチベットの人権、FOIPの安全保障でのイギリスの役割といった事項では中国にもっと強い立場を取るべきだったと外相への抗議の声が挙がった。そうした批判はスナク政権与党内だけでなく、閣内からも挙がっている。トム・トゥーゲンハット安全保障担当閣外相は対中タカ派で名をはせ、2021年には中国への入国を禁止されている。陸軍出身のトゥーゲンハット氏は英国内にあった中国の海外警察署を非常に警戒し、本年6月にはイギリス政府の承諾を得ていないという理由でそうした派出書を全廃させた。
対中融和派は党派を超えて存在が確認されている。左派の側には反植民地主義ウォークがいる。右派の側には金融ロビイストと彼らの賛同者達がいる。古臭い「左右病」では、外交および内政政策の相互関係を分析するうえで無意味である。インド太平洋でのイギリスのパートナーは与野党を問わず緊密に接触し、この地域の安全保障環境、そして広島でのG7宣言や日英アコードといった国際合意を再確認する必要がある。またイギリス自身の安全保障指針である2021年の統合安全保障見直し、2023年の戦略見直し、本年8月にカーンズ氏主導で発行された下院外交委員会報告書を再検証する必要がある。最も重要なことに、アジアでのイギリスの軍事的プレゼンスは対米特別関係にも有益で、それがグローバル・ブリテンの成功をより確実にするだろう。本年9月の上院において元外相のデービッド・オーウェン卿は「アメリカ国民がウクライナで現在進行中の戦争よりも中国の軍事的冒険主義を懸念するようになっているので、イギリスが彼らと太平洋で共通の戦略目的を示せれば有利であろう」と主張した。オーウェン卿は労働党キャラハン政権の閣内相ではあったが、インド太平洋傾斜に関してはヒーリー現影の国防相とは完全に違う観点からものを言っている。ラミー影の外相は3Cを掲げているが、その内容は依然として明確ではない。いずれにせよイデオロギー上のレッテルや党派ではなく、インド太平洋傾斜と中国の脅威への理解が重要になる。イギリスの内政に要注意である。
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