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2024-01-22 00:00
ヒズボラ、フーシ派の背後にイラン
舛添 要一
国際政治学者
ハマスやそれを支援するシーア派武装組織ヒズボラやフーシ派の背後には、イランがいる。イランは、中東に展開する米軍の施設を攻撃し、米軍も反撃している。なぜ、イランはアメリカと対立するのか。第二次世界大戦後、レザー・ハーンの息子のパフレヴィー2世が、独裁者として「白色革命」と呼ばれる近代化と親米政策を断行した。しかし、国民の生活は改善せず、行きすぎた西欧化への批判も強まり、大衆の反発を招いた。そのような大衆の不満を背景に、シーア派最高指導者のホメイニ師は、海外から反政府活動を指導した。その結果、市民の王制批判の抗議活動を鎮圧できなくなったパフレヴィー2世は、1979年1月に海外に逃亡した。
亡命先のパリから帰国したホメイニは、1979年2月11日に政権に就き、シャリア(イスラム法)に基づく厳格な統治を開始した。新政権は、革命の混乱でメジャーズ(国際石油資本)が撤退したために、石油の国有化を行った。また、原油の輸出を制限したために、石油価格が高騰し、第二次石油ショックを引き起こした。パフレヴィー2世は海外を転々としていたが、最後にアメリカへの入国を求め、アメリカ政府はこれを認めた。ホメイニ政権は、アメリカに入国したパフレヴィー2世その身柄の引き渡しを求めたが、拒否されたため、怒った学生らは、1979年11月テヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員52人を人質にとって立て籠もった。アメリカのカーター政権は、翌年の4月に、ペルシャ湾に展開する空母から救出作戦を試みたが、ヘリコプターの故障で失敗した。この国際法違反の大使館占拠事件で、アメリカ国民のイランへの不信感は高まり、今でも解消していない。
2002年、イランが大規模原子力施設の建設を行っていることが発覚し、IAEAが査察に入った。ウラン濃縮などの核関連活動も明らかになり、アメリカはイランに制裁を課した。その後も、イランの核兵器開発疑惑は続いていたが、2015年、米英独仏中露6カ国とイランが、イランの核開発の制限と経済制裁の解除を決めた核合意を決めた。ところが2018年5月に、トランプ政権は一方的にイランとの核合意から離脱した。これに反発したイランは、核開発を再開した。
イスラエルとハマスの戦争が今後とのような展開を見せるかは不明だが、45年にわたって蓄積されてきたアメリカとイランの相互不信感の解消は容易ではない。これ以上、中東に戦火を拡大しないためにも、両国の歩み寄りが必要である。中国の仲介で、イランはサウジアラビアと国交を正常化した。ハマス支持・イスラエル非難という点で両国は一致している。また、イスラエルとUAE、バーレーン、スーダン、モロッコは、アメリカの仲介で国交を正常化した。イスラエルとサウジアラビアも、それに続く予定であったが、今回の戦争で中断されている。停戦後の中東がどうなるかはまだ不透明である。
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