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2024-03-19 00:00
二つの本を読んで考えたこと
荒木 和博
拓殖大学海外事情研究所教授
先日2冊の本を読みました。1冊は朝日新聞元ソウル特派員の鈴木拓也さんの著書『当事者たちの証言で追う北朝鮮・拉致問題の深層』(朝日新聞社)。もう一つはジャスティン・ウィリアムソン著『イーグルクロー作戦』(鳥影社)。後者の訳者は予備役ブルーリボンの会の会員で元二等陸佐の影本賢治さんです。2冊は全く関係ない本です。鈴木さんの著書は、平成14年(2002)9月の小泉訪朝の頃からの日朝交渉の記録です。様々な当事者から話を聞き、そして帰国した5人の証言なども元にして書かれており、この間の交渉を改めて見直す上で重要な本だと思います。それぞれの場で交渉に当たった人々の努力が描写されています。これを読むと十把ひとからげにして「外務省けしからん」では片付かないことが分かります。もう一冊の『イーグル・クロー作戦』は、1979(昭和54)年11月にイラン革命によって占拠されたテヘランの米大使館から人質の救出作戦を行おうとしたことについての本です。この作戦は結果的に失敗したのですが、そこからは様々なことを考えさせられます。
関係ない二つの本をここにご紹介したのには意味があります。鈴木さんの本を読んで感じたこと、これはおそらく著者の意図とは違いますが、私の結論は、通常の外交交渉では拉致被害者を取り返すことができないということです。交渉を成功させるためには、相手側と合意をしなければなりません。そのためには北朝鮮側の希望をある程度は飲まなければいけないわけですが、北朝鮮側としては被害者全てを返す決定は不可能であり、どこで終わりにするのかということが最大の関心事であるはずです。もちろん日本からの膨大な援助を求める事は言うまでもありません。援助に応じるかどうかは判断の問題ですが、拉致被害者の救出に関して譲歩することはできません。逆に言えばそれは交渉では全ての拉致被害者を救出することはできないと言うことを意味します。実際ストックホルム合意の時に当時の安倍政権は北朝鮮側から田中実さん金田龍光さんの名前が提示され、これで拉致問題を終わりにしろと言われたことに対して、北朝鮮側からの提案を突き返しています。すべての拉致被害者を救出するのは交渉だけでは不可能です。威嚇も含め何らかの形で力を使わざるを得ません。実際平成14年(2002)の小泉訪朝で北朝鮮が拉致を認め、5人を帰国させたのは、米国がブッシュ政権の前期で非常に強硬姿勢を見せていたからです。同時に中朝関係が悪化しており中国に救いを求めることができなかった。その結果、北朝鮮は日本に救いを求める形で、その代償として拉致を認めました。北朝鮮にとってそれまで「でっち上げ」と言ってきた拉致を認めるのは大変なことなのですが、当時は金正日自身が自分の安全も含めて非常に怖い危機感を持っていました。その状況を作り出さなければ北朝鮮が拉致被害者を返すのは非常に難しい。鈴木さんの本を読んで、私はそれを非常に強く実感しました
影本さんの訳書について、イーグル・クロー作戦が行われたのは、1980(昭和55)年の4月です。そのきっかけとなったテヘランのアメリカ大使館占拠事件から半年も経っていません。アメリカが特殊部隊「デルタフォース」を作ったのは1977年11月の事でした。つまりそれからわずか2年でこの事件が起き、そして半年もたたないうちに、作戦が実行されたということです。特殊部隊が動くため、あるいは現地の状況把握するための時間は極めて限られていました。米国でも人質救出作戦についてはほとんど蓄積がありませんでした。しかもカーター大統領をトップに米国は国家の意思としてそれをやることにしたということです。作戦は失敗します。イラン国内での中継点においてトラブルが起き、非常に長い距離の作戦となったこともあって、想定外の砂嵐等の影響も受けました。中継点ではヘリコプターが輸送機に衝突をすると言う事件も起き8人が亡くなっています。しかしその後米国では様々な形で経験が蓄積され、装備もノウハウも向上しました。オスプレイもそのために開発されたものです。
今日本で、被害者の救出について自衛隊を使うべきだと言う意見に対し、憲法・自衛隊法の制約がある。あるいは現地の情報もないということでそれを否定する人がいます。しかし政府が北朝鮮による拉致を国会で認めたのは昭和62年(1987)のことです。今から実に37年前になります。金正日が拉致を認めてからでも既に22年。もし被害者を本気で救出すべきだと思っていたのならば、そして交渉で全てを取り返すことはできないという現実を認めたなら、この間に憲法だろうが自衛隊だろうが、すべての法律を改正することが可能だったはずです。作戦の準備期間も、アメリカはわずか半年もない期間で実施しました。もちろん日本とアメリカに様々な条件の違いはあります。しかし少なくとも準備する時間があったことは間違いなく、できないことの理由にはならないはずです。現実問題、北朝鮮に部隊を上陸させて、戦闘して被害者を取り返すというランボーまがいの作戦はアメリカでも極めて難しいことです。北朝鮮の体制が揺らいできた場合に、何かの形で拉致被害者を救出するきっかけができる可能性はあり、その時には戦闘が行われる可能性もあります。そうしないで済んだとしても危険な状態の中で被害者を救出することができるのは自衛隊しかありません。ですから、その準備を様々な形で行うのは当然必要なことです。それとは別に、結果が交渉による救出だったとしても、裏付けには強い圧力が必要です。それはまた日本が軍事力を行使する意志を示すことを意味します。北朝鮮は今、ミサイル、発射、ロシアへの武器、弾薬の販売などで、実際には戦争など夢のまた夢と言う状態です。交渉するためにも今こそ物理的な圧力を加えることが必要だしそうしなければならない、2冊の本を読んでそれを感じました。
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