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2024-09-15 00:00
(連載2)「ウクライナ応援団」はどこへ行くか
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
このような私自身の見解を述べた後で、私が「ウクライナ応援団」の何について疑問を感じているのか、この機会に明らかにしておこう。ロシアの悪魔化、親露派マッカーシズム、勝利の至上命題化、の三つの観点から、考えてみる。
第一の論点は、ウクライナを応援することは、ロシアを徹底的に悪魔として描写することだ、と信じ切る姿勢である。もちろんロシア軍の侵略や戦争犯罪を断罪することは、国際法にのっとって正しいことである。しかしロシア全体を悪魔化し、戦争の目的を、悪魔の征伐と誤認してしまうような態度は、分析の目を曇らせる。クルスク侵攻を称賛した人々の中には、「プーチンに一泡吹かせてやった」といったことを言いあって喜ぶ方々がいた。仮にプーチン大統領に何らかの精神的衝動を強く与えて政策変更を導き出すことが、ウクライナにとって合理的な目的追求になるのであれば、それは一つの合理的な政策手段として認められるだろう。私自身はクルスク侵攻がそのような手段であったという主張の妥当性は疑っているが。もし「プーチン大統領はショックを受けている」という根拠不明であるだけでなく、ウクライナの戦争目的の達成に何の意味があるのか不明な点へのこだわりが、「悪のロシアを少しでも苦しみを味合わせることは正義である」、といった感情に裏付けられているならば、非常に危険である。悪魔を征伐すること自体を目的とみなしてしまうと、本来の政策的目的に照らして合理性のない行動が、正しい善行として称賛されてしまう。結果は、非合理的な作戦行動の積み重ねだ。
第二の論点は、ウクライナを応援することは、親露派を炙り出し、糾弾し、社会的制裁を加えるために「犬笛を吹く」こととだと信じ切る姿勢である。当初は、ロシアに有利なプロパガンダの拡散を防ぐことが目的だったのだろうが、運動が過熱し、特にロシアを擁護しているわけでもない人物をつかまえて、ロシア系の情報を見ている、ロシアに不利な情報の信憑性を疑っている、といったことだけで非難しようとしたりする。その姿勢は、党派的な発想にもとづくある種のマッカーシズムであると言ってよいだろう。党派的言説は、党派的言説を喚起する。フォロワーを増やすことを至上命題にしてしまったら、その他の事柄は犠牲になる。非常に危険なのは、東大の松里公孝教授のように第一級の研究者であり、かつてドンバス地方でも広範な聞き取り調査を行った稀有な経験を持つ人物を、ウクライナに不利な情報を信じている、といった理由で糾弾し、人格の否定につなげようとすることだ。松里教授のような貴重な研究者の業績を完全否定することは、冷静で客観的な情勢分析を阻害する。広範で精緻な分析を自ら禁じてしまうことによって、得られるものはない。偏狭な態度を見せることは、「ウクライナ応援団」の長期的な世論への働きかけにとっても、阻害的な効果しかもたらさないだろう。
第三に、欧州の急進派の政治指導者の合言葉を真似して、「ウクライナは勝利しなければならない」と唱え続けることが、ウクライナを応援することだ、と信じる風潮がある。しかし、応援することとは「勝利しなければならない」と命令することだ、という考え方は、かなり奇妙である。この言葉を大真面目に信じると、「ウクライナは勝利するまで戦争を止めてはならない」、「ウクライナの勝利を語らない者はウクライナを貶めている者だ」、といった不健全な非分析的な発想に、どんどん陥っていってしまう。無批判的に無制限のウクライナへの支援を唱えるのでなければ、親露派と同じだ、あるいは国際秩序の破壊を認めたことと同じだ、といった眼差しで、あらたな「隠れ親露派狩り」に奔走し、「犬笛」を吹き、他者に非難の言葉を浴びせることを先導することによって、「ウクライナの勝利のために貢献した」、「国際秩序を守ることに貢献した」、という気持ちに浸ろうとするのだとしたら、それはあまりに安易である。ロシア・ウクライナ戦争の現実は、ウクライナにとって厳しい。これまでの「ウクライナ応援団」の態度は、いずれ大きな試練を迎えるのではないか。(おわり)
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