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2024-11-13 00:00
(連載2)ウクライナに近づく最悪の事態:戦局の悪化とアメリカとの関係の破綻
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
今の時点で思い出しておくべきは、2023年の「反転攻勢」の開始時期だ。すでに冬を一度越えて、ロシア軍は支配地を防衛するための準備を進めていた。そうなると2022年のようなウクライナ側の劇的な進軍は難しい。ウクライナ軍がロシア軍を圧倒できる戦力を蓄えるまで平穏な戦局を維持しておく戦略もありえただろう。しかし、その選択肢は、採用できなかった。理由は、アメリカの大統領選挙だ。2023年の段階で、バイデン氏とトランプ氏の一騎打ちが再現されることが予測され、しかもバイデン氏の不人気のため、トランプ氏の優位が予測されていた。ウクライナにとっては、強力な支援を約束し続けていたバイデン氏の再選が望ましい。それを後押しするためには、アメリカで大統領選挙の予備選挙が始まる前の2023年末までには、巨額のアメリカの軍事支援の目に見えた成果を見せる必要があった。もし巨額の支援を提供しても、ウクライナ軍が成果を出せないのであれば、支援は打ち切られ、しかも支援に消極的なトランプ氏の再選の可能性が高まる。時期尚早であっても、バイデン氏を助けるために、「反転攻勢」を開始して「アメリカの支援の劇的な成果」を見せる必要があった。
この観点から見て、私は、2023年「反転攻勢」には合理性があったと考えている。ロシア軍をさらに押し込んだ結果も、現実の諸条件を見れば、失敗だったとまでは言えないとは考えている。他方、バイデン氏再選のために「アメリカの支援の劇的な成果」を見せるという政治的効果は、限定的なものでしかなかった。そのため、大統領選挙戦でトランプ氏優位が続いただけではない。議会までがウクライナ支援に消極的になり、予算が可決されないという事態まで引き起こされた。これが、ロシア・ウクライナ戦争の一つの峠であった。2024年になる頃には、トランプ氏は、自分が大統領になったらロシア・ウクライナ戦争を止める、と公言し始めた。戦局の膠着状態と物価高で苦しむアメリカ国民の疲弊を見れば、選挙戦術としても、トランプ氏の態度には合理性があった。再びW・ザートマンの「成熟」理論に立ち戻れば、2024年前半は停戦に非常に機が熟し始めていた時期であった。私自身も、そのような趣旨の文章をいくつか書いた。私について言えば、この時期は、結果として「篠田は隠れ親露派だ」と非難され始めた時期だ。しかしこの停戦機運の高まりに最も激しく抵抗したのは、ウクライナのゼレンスキー大統領であった。まずザルジニー総司令官を罷免して、自分の意向で全軍を動かせる体制を作り、8月にはロシア領クルスクに侵攻するという合理性を欠いた作戦を実行し始めた。一言で言えば、たとえウクライナが不利になる結果しかもたらされないとしても、ただ停戦の機運が熟することにだけは抵抗する、という態度であった。
ウクライナが持ちうるせめてもの期待は、短期でもいいので、かすかな成果を、アメリカの大統領選挙前に作り上げて、せめてほんの少しでも望ましい方向に大統領選挙戦を進めさせる影響を与えたい、ということだっただろう。しかしクルスク作戦の効果は、極めて短期的な電撃的瞬間の間だけしか続かず、軍事的・政治的な意味は乏しかった。ゼレンスキー大統領の思い付きで、ロシアの国境の小さな町スジャに立てこもって謎のスジャ防衛戦で多大な犠牲を払っているウクライナ軍に対する責任は、いったい誰がとるのか、という問いは、今や政治的な事情でタブーになっている。もしウクライナ国内で、そんな問いを発したら、身辺の危険を心配しなければならないだろう。クルスクの話題は、ゼレンスキー大統領のSNSに登場することもなくなった。そして、トランプ大統領が、当選した。
すでに二年半にわたって、ロシア・ウクライナ戦争は、ウクライナの最大の支援国であり生命線であるアメリカの大統領選挙の予定に翻弄されて、動いてきた。だが今や、結果は出た。確定した結果の現実をふまえて、次の政策を明らかにして、進めていかなければならない時期になった。ウクライナ政府だけの話ではない。日本政府も同じだ。峠を越えた後の過去半年余りのウクライナの行動は、負の遺産となって戦場に影響が及ぶ。それをどう処理していくか、も真剣に考えなければならない。具体的には、一人でも多くの兵士を生存させるためのクルスクからの撤退だ。そして東部戦線でのロシア軍の進撃を止めることだ。残念ながら、非常に困難な課題になってしまっている。しかしトランプ氏は突然に豹変したりしないだろうか、といった夢物語をSNSで発信しているだけでは、現実はただ悪化していく一方だ。もし現実を直視することを拒絶し、あとせめて2カ月だけでもいいので現実から乖離した夢を見させてくれ、といった無責任な態度を取り続けるのであれば、そのことがもたらす災厄は、さらにいっそう甚大になる恐れがある。(おわり)
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