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2024-12-24 00:00
(連載2)シリア情勢と『アラビアのロレンス』と「サイクス・ピコ協定」
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
オスマン帝国は、多民族共存の帝国であったと言われる。もっとも帝国とは、ある民族が他民族を支配して作っていくものなので、たいていは多民族共存の統治体制の仕組みも持つ。オスマン帝国の場合、それは「トルコ人」の帝国であったが、アラブ人をはじめとする中東の諸民族の多民族共存を標榜した統治体制のことでもあった。2024年、北と南の旧オスマン帝国統治地域から入ってダマスカスのアサド政権を倒した勢力の主力であったHTS(ハイアト・タフリール・アッ=シャーム:シャーム解放機構)やSNA(シリア国民軍)は、トルコの支援を受けた勢力だ。トルコは、現在のシリアに、最も大きな影響力を行使できる国である。ただしHTSが主導する暫定政府は、多民族共存のシリアを標榜している。トルコ政府もそれを後押しするという。ただし、そう言いながら、トルコは、明らかにシリア北部のクルド人支配地域の縮小化を狙っている。トルコの意を受けたSNAがクルド人のSDF(クルド防衛軍)と衝突している状態になっている。
トルコのエルドアン大統領が、「トルコはトルコよりも大きい」と発言したことが、話題となっている。トルコより大きいトルコとは、つまりオスマン帝国のことだと言ってよいだろう。現在のトルコという国家の領土を広げることは狙わないが、旧オスマン帝国領地にそって、トルコは勢力圏を広げることは狙う。エルドアン大統領が言ったのは、そのようなことだと解釈せざるをえない。そこには「トルコ人が支配する多民族共存帝国」のイデオロギーも見え隠れする。かつて19世紀にオスマン帝国は、南下政策をとるロシアと戦争を繰り返した。だが結局は最終的にオスマン帝国を崩壊させて中東を支配したのは、アラブ人を焚きつけたイギリスやフランスという西欧諸国であった。
アサド政権下のシリアでは、トルコの影響下の勢力と、ロシアに支援されたアサド政権軍が、対立していた。アサド政権が崩壊した今、シリアを自国の勢力圏に置くかのような勢いのトルコは、クルド人勢力を目の敵にしている。それを知りながらクルド人勢力を支援しているのはアメリカであり、そこにシリア領ゴラン高原を占領してしまったイスラエルが連携を目論む。そこでトルコとロシアは、慎重に正面衝突を避ける微妙な距離感をとっている。アサド政権崩壊までは、あたかも共闘関係にあるかのように見えたトルコとアメリカ・イスラエルは、今は厳しくにらみ合っている。エルドアン大統領は、オスマン帝国の二の舞にならないように、現地代理勢力を焚きつける米国・イスラエルの動きを警戒している。イスラエルは、イランを最も主要な敵としてアサド政権崩壊に協力しながら、今はオスマン帝国の復活を夢見るかのようなトルコの動きを警戒している。アメリカは、イスラエルを守る立場から、代理勢力としてのクルド人の支援に熱を入れている。この状況で、欧米諸国と対立しているロシアは、トルコとは対立したくない。
もし歴史が繰り返されるのであれば、外国勢力を排して、土着の政体を打ち立てようとするアラブ人たちは、やがて部族・宗派対立を展開させる。あるいは外国勢力に焚きつけられて、望まない内部対立の負の連鎖に引き込まれる。このシナリオを避けるには、外国勢力の利益調整も見据えたシリア国内諸勢力の利益調整が必要である。ただし、残念ながら、それは簡単なことではない。結局のところ、「第二のオスマン帝国」も「第二のサイクス=ピコ協定」も、もちろん上手くいかないだろう。しかしいたずらに外国勢力を排する主張を声高に唱え続けてみたところで、諸国が介入してくる厳しい現実は進展していく。シリアは、ユーラシア大陸が地中海世界と交わってから、アフリカや紅海・インド洋地域へと抜けていく回廊の中枢を占める要衝にある。砂漠又は海を通るのでなければ、シリアを無視して大陸を抜けていくことは著しく困難だ。シリアの複雑方程式を解いていくには、時間が必要だ。(おわり)
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