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2025-03-14 00:00
(連載1)日露戦争の終結時のアメリカの調停とトランプ・バッシング
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
日本がロシア・ウクライナ戦争を見る時に、非常に興味深いはずの視点は、日露戦争との比較だ。日本は、ソ連だけではなく、ロシアと交戦をしたことがある稀有なヨーロッパ域外の国である。日論戦争の終結は、ポーツマス条約によってなされた。これは学校授業の日本史のレベルでよく説明されているように、非常に困難なプロセスであった。しかし現在のロシア・ウクライナ戦争を見たときに、幾つかの重要な示唆がある。現在、ロシア・ウクライナ戦争で、アメリカの調停が注目を集めている。この点に注目しながら、日露戦争終結の歴史について考えてみてもいいだろう。
日本はイギリスと同盟関係を結んでロシアとの戦争を戦った。開戦から1年の間の戦況を有利に進めることができた日本は、しかし長期戦になれば不利になることをよく覚知していた。ロシア国内の厭戦ムード・反政府運動を高めるための工作も成功裏に進めていた。そこで日本は、タイミングよくアメリカの第三者調停を導入することに成功した。アメリカは日英両国と友好関係を持ち、ロシアの南下政策を警戒していたので、形式的には第三国として中立国だったが、日本にとって非常に望ましい調停者であった。
そのアメリカは、ポーツマスにおいて、日本の完全勝利とは言えない調停案をまとめるための圧力をかけてきた。日本の指導者層は、満足はしなかったが、アメリカの調停による戦争終結が果たされなければ、待っているのは惨事だけであるという認識から、苦渋の決断として、ポーツマス条約を受け入れた。ところがそれは外交政治指導者層以外の人々には、受け入れられなかった。賠償金のないポーツマス条約の内容に怒った民衆が、日比谷焼き討ち事件に代表される激しい反発を示した。外交交渉にあたった小村寿太郎は、右派層からは国賊のように扱われた。これはその後の日本の政治文化及び政府内エリートが右傾化していく温床となった。軍部も、自分たちの戦場の勝利を、外交官が台無しにした、という怨恨の気持ちを持った。これはアメリカの関係を重視する論理を持つ海軍と比して、そうした風土を持たない陸軍において、いっそう強かった。日露戦争の果実としての満州における権益が、満州鉄道の開発などの形で進められたとき、陸軍は外務官僚の関与なく進める傾向を強く持つことになった。アメリカが満州鉄道の共同開発を提案したとき、外交的な論理では、ポーツマス条約の立役者であるアメリカとの関係を重視して歓迎する見方もありえた。しかし陸軍は反発し、結局、満州開発は、アメリカを排するどころか、陸軍独占権益の形で進められることになった。
アメリカは日本の大陸進出に懸念を持つようになった。ロシア革命後のシベリア出兵における日本軍の行動も、アメリカから見れば、猜疑心を強めざるを得ないものであった。ソ連がスターリン時代の一国革命主義の時代に入ると、アメリカはますますソ連よりも大日本帝国を警戒するようになる。両大戦間期の軍縮交渉で、アメリカは日本の軍事力を厳しく制限することを試みるようになり、アメリカの圧力で日英同盟も終結した。日本国内では、陸軍を中心とする軍部が、アメリカに激しく反発するようになった。そして満州事変以降に、日本の中国大陸での拡張がさらに新しい段階になると、アメリカとの関係の破綻は決定的となった。(つづく)
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