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2007-12-06 00:00
大学改革を阻む「組織の壁」
鈴木智弘
信州大学経営大学院教授
わが国の大学(特に文系)がレジャーランド化していると言われて久しい。また、最近は若者の「理工系離れ」、即ち「ものづくり日本」の危機も叫ばれている。筆者は、わが国では、学生が大学に進学し、優秀な成績を収めることのメリットが乏しく、また、大学側も研究・教育において、社会ニーズに十分対応しているのか疑問である、と前稿で指摘した。しかし、少子化に伴う大学全入時代を前に、わが国の産業競争力強化を目的とした産学官連携、国立大学の法人化など、大学も改革を怠っているわけではない。これまでの組織、経営方針、意識などを全面的に変革することをイノベーションと定義すれば、大学もイノベーションを目指していることは確かである。しかし、イノベーションの達成には、3つの壁を越えなければならない。社会に受け入れられるのかという「市場の壁」、目的を達成するための技能や技術を持っているのかという「技術の壁」、経営資源はあるのか、既存組織内の抵抗は押さえられるのかという「組織の壁」である。今回は「組織の壁」について論じる。
公務員制度改革を見ても、わが国では、既存組織内の抵抗をどのように抑えるのか、が最も難しいと言われる。大学改革も同様である。大学は迷走している。しかし、わが国の大学改革(国際競争力の強化)を阻む「組織の壁」は、既存教員(教授会)の抵抗というよりも、経営者の不在である。大学法人化では、学部教授会を「抵抗勢力」とレッテルを貼り(小泉内閣の常套手段)、学長トップダウンの強化による改革を標榜した。学長を大学経営及び教育研究の最高責任者とし、その下に学長が指名した理事を経営陣として配置し、大学経営をするという仕組みである。しかし、経営者であるはずの理事の多くは、各学部の長老教授が占める。学者としては一流であっても、人事や財務に全くの素人が、理事として経営を担当している。このことが、何をもたらすか自明であろう。素人経営者のため、国立大学時代以上に、文科省の顔色を窺い、他大学の動向を気にする。当局の指示だからと、計画、点検評価の書類の山となり、教職員(特に教員)は、書類作りに忙殺される。米国を理想化するのは慎まなければならないが、このままでは、わが国の大学の優秀な人材も海外に流失するだろう。米国の大学教授で、わが国のような雑務をしている者は、どれだけいるのであろうか。
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