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2025-07-12 00:00
「唯一の被爆国」と核抑止は矛盾しない
加藤 成一
外交評論家(元弁護士)
広島、長崎の被爆者団体や日本共産党などの左翼政党は、日本は「唯一の被爆国」であるから、日本独自の「核保有」はもちろんのこと、米国との「核共有」や米国の「拡大核抑止」すなわち「核の傘」に依存することにも反対する。その理由は、「核保有」のみならず「核共有」や「核の傘」も核の使用を前提とするものであるから核廃絶の理念に反し、日本は「唯一の被爆国」として核兵器廃絶の先頭に立つべきというものである。日本共産党は「核の傘」による核抑止の必要性を否定し「核の傘」を提供する「日米安保条約」の廃棄を主張している。しかし、「日米安保」の廃棄は日本が核に対して無防備になることを意味する。
このような「核抑止」反対論は、理想論ではあっても、核保有国である中国、ロシア、北朝鮮による日本に対する核恫喝や核攻撃の危険性や可能性を無視しており、日本は「唯一の被爆国」であるから、これらの核保有国からの核恫喝や核攻撃を受けることはないと考えている節がある。これは、日本が「唯一の被爆国」であることをあたかも核恫喝や核攻撃を受けないための「特権的地位」であり「免罪符」と理解しているとも言えるのであり、極めて危険である。なぜなら、ひたすら力を信奉する上記の核保有国が、日本が「唯一の被爆国」であるがゆえに、核恫喝や核攻撃を加えない保証はないからである。このことは、1994年の米ロを含む「ブタペスト覚書」により核を放棄し、核抑止力を失い、核に対して無防備となったウクライナに対する核保有国ロシアの侵略を見ても明らかである。
このように考えると、「唯一の被爆国」と核抑止は矛盾しないどころか、「唯一の被爆国」だからこそ、二度と被爆しないために、日本は核に対して無防備となってはならず、日米同盟に基づく「核抑止」の確保が必要不可欠であることが分かる。米国の「核の傘」だけでは核抑止として不十分であるとすれば、米国との「核共有」も真剣に検討すべきである。「核共有」は米国の核兵器を日本国内の基地に配備せず、米原子力潜水艦発射型の「核共有」も可能であり有効である。「核抑止」が戦後米ソの戦争を抑止し、現在も米、ロ、中の戦争を抑止していることは否定できない厳然たる事実である。
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