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2007-12-08 00:00
CEOであるための大学教授陣
鎌田易子
非営利活動団体理事
初めて投稿させていただきます。鈴木智弘さまの12月6日付け投稿「大学改革を阻む『組織の壁』」(475号)を拝読しました。日本での大学経営の課題と教授陣の経営能力不足に関するご意見は、昨今の教育機関の縮小に関連する問題提起でもあると思います。考えるに、過去のバブル時期には多くの私立大学が、アメリカの大学との連携を図り、「国際化」を謳い文句に日本校を設立いたしました。言うまでもなく、何十校とあった日本校は現在は数校のみに激減しています。私はその日本校ブーム時代にアメリカのとある大学に在籍し、衰退する時期には教鞭を取っていました。日本側の思惑とアメリカの大学側の経営思索の両方を知っている者です。
いかんせん、今だ日本社会が認知する教育理念は、理想を掲げた「教育」=人格形成をイメージしているように思われます。しかし、現場は社会で「使える人」の形成を目的にしているのではないでしょうか?実際、教育とは「優れた人間」を作るという大きな目標の上に成り立つものですが、教育機関が個人に与える影響とは、それほど大きな役割を負えるものではありません。それでも、目標を持って勉学に励む場を提供することは、より社会に貢献できる人格の形成にもなるというものです。誰がどのくらい勉強したいかは個人のものであり、学校側は場を提供するだけに専念するのがベストではないでしょうか。
小学校から高校までの12年間を18歳までに履修完了するアメリカの人口の割合は、日本より低いはずです。ですが、一生をかけて履修完了する人口の割合にすると、あまり差はないように思います。また、アメリカでは高校までを義務教育とするため、家庭内履修も多様にあり、通学できない環境の子供たちもオンライン授業を通して卒業できる仕組みは、画期的なシステムではないでしょうか。大学進学率は、日本とは比べものにはならないでしょうが、生涯教育としての教育理念から考えれば、社会が向上心=教育の必要性を認識していることは間違いありません。最近の大学は社会人の受け入れも多くしていますが、これもまたアメリカのアイデアを組み入れたものということでしょうか?
鈴木さまのご指摘のなかに、事務処理にかかわるわずらわしさが日本の教授陣にあるとのことでした。アメリカの大学では、各部署にチェアー職(日本語で「書記」と訳しますが、少し見当違いです)があり、部長と連携を取りながら各部署の事務経費決算の取りまとめを行いますが、各教授が担当する教科に対して求められる以外の発言をすることはありません。各教授は、カリキュラム構成に基づいた研究費の決算について責任を負う以外は、所属部科に対する業務はあくまでもボランテイアとしての役割にとどまります。当然、職務時間内の業務枠ですから、役職にある教授はその分だけ担当教科も少なくなりますが、給与の範囲内で臨時に教科を受け持つ場合も多くあります。これもあくまで「教授=教官」であることを意識してのアピールです。また、最近では大学院生を増加して受け入れていることから、学部生1年や2年の教科は院生が担当することも多く、教授達は研究と称して学会出席のために在籍しているものも少なくないのが実情です。
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