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2008-03-20 00:00
イラク戦争は「大義なき戦争」か?
伊藤 憲一
青山学院大学名誉教授
3月16日の社説で読売新聞が「イラク戦争を『大義なき戦争』とする批判がある。だが、開戦に至るまでの長い前段を忘れては、問題の本質を見誤る」と言い、「当時の状況では、米英が武力行使に踏み切り、日本がそれを支持したのは、やむを得ない選択だった」と結論しているのを読んで、私ははっと胸を突かれる思いがした。いまの日本や世界の俗論では、「とんでもないことを言うな」と頭から反論されるのが、見え見えの主張だからだ。これを言い切るまでの読売新聞の決断は苦渋に満ちたものであったろうと、私は思った。それは、私とってもこの問題が他人事ではなかったからだ。
私は昨年9月に『新・戦争論』(新潮新書)を上梓し、そのなかで「イラク戦争は『戦争』ではない」と題して、イラクに大量破壊兵器が存在したか、しなかったかは結果論であって、米国を批判する根拠にはならないと述べ、「当時イラクに大量破壊兵器が存在しないとの確信をもつ国や人は、いま米国を批判している国や人を含めて、一国も一人も存在しなかった。そのような状況であったあの時点で、米国が行動に出なかったとすれば、それは何を意味したか」と問うた。当時のイラクの状況は、昨年夏以来の好転が知られるようになる前のことであり、世論は米国批判一色に染まっていたからである。相談した友人からは「そんなことを書けば、本が売れなくなることだけは確かだね」と、忠告された。そういう経験があったからである。
杉浦正章氏は、3月18日の本欄への投稿「朝日・読売が米軍事力の必要性で意見一致か?」のなかで、朝日新聞が2003年3月19日付の社説で「大量破壊兵器の問題の根源はフセイン氏にある。彼への支持は国際社会にはない」と言い切っていたことを暴露している。それなのに、本年3月18日になると、同じ朝日の社説が「この歴史的な大失敗をまだ正当化しようとする人々がいる」「この戦争が好転してきた(からといって)、やはり米国のイラク攻撃は誤りではなかった、と言うのは無理がある」と主張している。庶民受けする議論ではあるが、責任ある言論の姿勢であるとは認めがたい。ここに読売の社論があることが、日本のメディアにとっての救いである。
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