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2008-03-24 00:00
政権中枢の“巧言”はもうよい
杉浦正章
政治評論家
かねてからどうもこの政権はどこかがおかしいと思ってきたが、最近ようやく分かってきた。自民党や政府首脳の「テレビ指向」である。出演して野党を論破するのが仕事と勘違いしているのではないか。弁舌は確かに見事だし、言うことは当を得ている。しかし、本来の「政治の仕事」に欠落があっては、何もならない。この構図がねじれ国会への対応で失策を続ける原因の一つとなっている。自民党幹事長伊吹文明も、官房長官町村信孝も、NHKや民放番組に毎週のように出演する。そして極めて雄弁に理路整然と野党を論破する。おそらく政界でも屈指の論客であろう。福田が弁舌の巧みさを買って抜擢しただけのことはある。支持率に貢献と思っての人事だろうが、裏目に出ている。
日銀総裁人事とガソリン税問題を例に挙げれば、その雄弁さは何故かうつろに響くのである。相手を論破は出来ても、ねじれの政治は全然動いていない。官房長官も幹事長もいわばニュースショーのコメンテーターになって、番組に貢献しているが、ただそれだけの現象。“ご説ごもっとも症候群”である。優秀な歴代官房長官の例を挙げれば、保利茂や後藤田正晴がテレビに出てしゃべりまくったかというと、逆だ。政治家の発言は、寸鉄人を刺す一言二言でよいのである。その背景に政治力があればのことだが、政治家の評価は弁舌でなく、表れた“結果”が問題なのだ。
日銀総裁人事では、首相福田康夫が一身に世の批判をかぶった形だ。しかし、2回目の田波耕治人事は「官邸發」とされ、官房長官は知りうる立場にあった。それを止めていない。止め得なかった官房長官は問題だが、幹事長がNHKで「田波氏を二度目に何故出したか分からない」と他人事のように述べたのにはあ然とした。一蓮托生の政権に責任を持つ立場の要人の発言だろうか。自民党内では官房長官だけでなく、幹事長への視線が厳しくなっているのもうなずける。伊吹はしきりに水面下の工作を行ったことを強調したが、水面下で動いても政治が動かなければ、それは動いたことにならない。だいたい有能な幹事長は水面下の動きなどひた隠しに隠すものだ。
こういう分析は自分だけかと思っていたが、元官房長官野中広務が民放番組で言い切った。「歌舞伎役者が多すぎた。テレビに出るだけで、相手とぶつかって本音を引き出すことをやっていない」と明らかに伊吹と町村を批判した。まさに本質を見据えた発言だ。また町村については「機能していなかった」と付け加えた。政権中枢の巧言令色を戒めている。野中もよく政治を見ている。こうした空気を察知してか、福田は町村と土曜の15日に1時間半も会談している。おそらく態勢立て直しだろうが、福田はまさに統率力が問われる場面だ。政治はガソリン税問題と日銀人事で正念場に到達した。
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