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2008-03-26 00:00
(連載)「円安バブル」の中期的崩壊過程が始まった(1)
鈴木淑夫
元衆議院議員・鈴木政経フォーラム代表
第2次大戦後、日本の金融政策は二度大きな失敗を犯した。1回目は、1971年の円切り上げ後の金融緩和が行き過ぎて、「過剰流動性インフレ」を引き起こし、73年秋の第1次石油ショックも加わって「狂乱物価」となった時である。2回目の失敗は、1987年10月の「ブラックマンデー」のあと、89年5月まで低金利政策を続けたため、地価や株価の「資産バブル」を引き起こし、その反動で低成長に陥った時である。2回とも大幅な円高のあと、それ以上の円高を防ごうとしたため、金融緩和の期間が長過ぎ、インフレやバブルが発生したのである(詳しくは、鈴木淑夫『日本の金融政策』(岩波新書)参照)。
今回は、2001年3月から06年7月まで5年以上にわたってゼロ金利政策・量的緩和政策を続けた。その過程では、景気回復がかなりはっきりして2%台成長が定着してきた04年以降においても、2年以上にわたってゼロ金利を続け、更に日銀当座預金残高を30~35兆円に積み増した。私はこの5年以上の超金融緩和は長過ぎたと思う。ゼロ金利政策の打ち切りが2006年7月まで遅れたために、その後の金利引き上げが遅れ、サブプライム・ローン問題の発生で再引き上げの時期を失し、今でも0.5%という超低金利にとどまっている。これは正常な姿ではないと思う。中期的な実質成長率、物価上昇率、企業収益率など実体経済の諸指標の予測から判断して、現在も政策誘導金利は低過ぎる。
行き過ぎた金融緩和は、1972~74年に大インフレを引き起こし、88~90年に資産バブルを発生させたが、今回はインフレも資産バブルも起こっていない。その最大の理由は、経済のグローバル化が進み、内外価格差縮小の圧力が日本の国内物価や地価に加わっているからである。その代わり、今回は超低金利の過剰資金が外貨建の資産に向かって「円安バブル」を発生させた。その結果、外貨高・円安がこの6年半の間に大きく進んだ。円の名目実効為替レートは、2000年末から07年中頃迄に24%も円安になった。実に4分の3の水準に値下がりしたのだ。この間、日本の物価は海外よりも落ち着いていたので、実質実効為替レートに至っては、36%も円安となり、1985年のプラザ合意の時よりも下がってしまった。プラザ合意後の円高は「行ってこい」となったのだ。
しかし、バブルは必ず何かを切っ掛けに破裂する。今回は、2007年7月末から表面化した「サブプライム・ローン」問題によって、米国の金利が相次いで引き下げられ、インフレ気味のEUの金利引き上げが中止され、内外金利差やその予想が縮小に転じたことを切っ掛けに、「円安バブル」は崩壊した。サブプライム・ローンを組み込んだ金融商品を抱える欧米の金融システムの不安、これに伴う欧米の成長減速見通しや不況の懸念によって、外貨建金融資産投資のリスクが高まっていることも、円キャリ取引の逆転などを通じて「円安バブル」の崩壊を促進している。(つづく)
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