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2008-04-07 00:00
日本銀行雑感
大藏雄之助
評論家
日本銀行という名前を知らない人はいないだろうが、日本銀行の役割を正しく認識している人はあまり多くないだろう。まして「法王庁」とも呼ばれたその本店に足を踏み入れたことのある人は、稀であると思う。
私は大学時代に学生新聞の編集をしていた経験から、院生の時に2年間、日銀の労働組合の機関紙『衆苑』の編集を手伝っていたので、定期的にあの建物に、通用口から出入りしていた。学卒で日銀に就職した者は、私の友人を見ても、皆学力優秀だった。高卒で採用された者も、ほとんどが全国の商業高校のトップクラスで、家庭の事情で進学できなかった秀才たちだった。それだけに彼らは組織内の待遇の差に不満を持っており、組合幹部はおのずから過激だった。
委員長だけが、たいてい若いキャリアだった。その事情を高卒の当時の書記長が次のように説明してくれた。「大学卒の人たちは、われわれとは比べられないほどに知識も組織力もあり、弁論にすぐれています。理事者側と交渉するには、どうしてもあの人たちの力を借りなくてはなりません。しかし、委員長はある段階で大多数の組合員を裏切って、それを手柄に出世コースを登っていきます。それでも私たちは、今度こそ、と期待するのです」
有能な組合活動家は、定期異動で次々に地方の支店に転勤になった。それを一言で「飛ばされた」と言ってしまっていいかどうかは、わからない。彼らは仕事もできるのだから、配属先で実力を発揮したことであろう。だが、彼らが東京に呼び戻されることはなかった。
もう50年以上前の話である。『衆苑』の仲間はみんな定年退職している。何人かはすでに亡くなった。その後、日銀内部がどのように変わったのかは知らない。最近は中央官庁でも任用時の差別を緩和して能力主義を取り入れようとしている。本当にそうなるまでには、まだしばらく時間がかかるだろう。
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