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2008-06-27 00:00
「報道の自由」は中国を変えられるか
田久保忠衛
杏林大学客員教授
中国を襲った天災には心から同情する。1月の大雪、5月の大地震、6月の豪雨による被害総額がどれだけのものになるか見当もつかないが、被害に遭った人々には深く同情したい。中国政府が望むのであれば、日本側はあらゆる努力を惜しんではならないと思う。しかし、そのことと、一党独裁体制をとっているこの国がときには強硬な、またときには柔軟な対応を仕掛けてきて、日本がそのたびに右往左往させられている「迷惑」とは、峻別すべきではないか。
去る3月に発生したチベットの騒乱は、天災ではない。たまたま北京で開催されていた全国人民代表大会で、チベット自治区代表が「チベットは目覚ましく発展し、安定している」と演説したところに発生しただけに、中国だけでなく、世界中に少なくない打撃を与えた。ラサだけでなく、近隣各省に広がった反政府デモを、中国政府は弾圧した。ここで実施されたのが、報道管制である。聖火リレーは欧米で強い反発を受けたのは当然だろう。長野リレーなどで動員された中国人がいかに多数で、どのような行動に及んだかに、世界は大きな関心を寄せた。
そこに発生したのが四川大地震だが、これは報道をシャットアウトできなくなった。世界の目にとりわけ痛ましい惨事だったのは、四川省だけで6千数百人に及ぶ児童・生徒が校舎の下敷きになって死亡したことだ。ニューズウィーク誌6月30日号は、現場の中国人が「これは学校なのか、墓場なのか」と叫んだ痛切な思いを紹介しているが、これに衝撃を受けない者はいるだろうか。
はっきりしたのは、建物や校舎の建築基準が守られているかどうかとか、日本に比べて建築基準が甘いかどうか、という問題ではないということだ。つまり、校舎に責任を持つ地方政府が、長年にわたって汚職を続け、縁故者によって人事を固めてきた事実が、明るみに出てしまった。温家宝首相や胡錦涛主席が素早く相次いで現場を視察したため、二人の人気は上がっているようだが、官僚組織そのものに中国民衆の批判の目が向けられ始めた。
キッカケは報道の自由が認められた四川大地震だ。8月のオリンピックには世界中のマスメディアが殺到する。競技だけではなく、中国人とその社会そのものが取材の対象となるのだ。問題の根源にある共産党の一党独裁体制が揺らぐ新しい材料が出てくるかどうか。オリンピックこそは国際政治の焦点になるだろう。
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