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2008-06-29 00:00
中国・中央政府のしたたかさにご注意あれ
岡本 雅和
会社経営
6月27日付けの田久保忠衛先生の本欄へのご寄稿「『報道の自由』は中国を変えられるか」(655号)は大変勉強になりました。これまで報道の自由がままならなかった中国ですが、5月の四川大地震では事実上報道の自由が成立し、その生々しい情報が世界中に届く結果となった由。今回の大震災は天災には違いありませんが、被害がこれほどまでに甚大なものとなったのは、四川省の地方政府が長年にわたり汚職や縁故の人事を重ねた結果であることを知り、ショックを受けました。ということは、地震とはいえ多分に人災の側面がある、ということになります。ですからこの事件をきっかけに、「官僚組織そのものに中国民衆の批判の目が向けられ始めた」のであれば、たいそう望ましいことだと思います。
ですが、以前どこかで読んだことがあるのですが、中国では北京の中央政府と地方の各政府の間には「責任のシーソー・ゲーム」という関係があるそうで、つまり、地方政府の失態が中央政府への期待の高まりと介入の機会をもたらす口実になる、という話であったと記憶します。田久保先生もご指摘のとおり、災害発生後「温家宝首相や胡錦涛主席が素早く相次いで現場を視察したため、2人の人気は上がっている」ということです。そうであるならば、北京の中央政府は、むしろ今回の災害を、中国の国家レベルでの失態としてではなく、四川省という地方レベルでの失態であると位置づけた上で、中央政府が寛容にも支援の手を差し伸べたという筋書きにし、それによって中央政府の影響力を強める手がかりとして利用する可能性はないでしょうか。
このような見通しは、あまりにシニカルかもしれませんが、報道の自由が自動的にその国を民主化に導くとするオプティミズムは、禁物だと思います。世界中のメディアが四川の大震災の惨状をつぶさに描けば描くほど、北京はそれを逆手にとって、だから中央政府は強力でなければならないのだ、と居直ることは十分ありえる話です。中国は広大な国土と膨大な人口、そして多種多様の民族や言語を抱えた国です。そのような国が、これまで数々の反乱や騒乱にも関わらず、一つにまとまってきた背景には、中央政府に相当したたかな統治のノウハウがあったからだ、と看做すほうが自然だといえましょう。ですから、私たちとしても、そのような北京のしたたかさに惑わされずに、効果的なメディア戦略を練ることが重要です。その意味では北京五輪は、恰好の応用問題となるのではないでしょうか。
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