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2008-07-06 00:00
有無を言わせぬ禁煙の風潮と国際政治
岡本 雅和
会社経営
タバコの値段が大幅に上がるようです。一箱1000円になるという話も一部で聞かれます。法律的には100パーセント合法である喫煙行為ですが、もはや「徴税」ならぬ「懲税」の対象と化したのでしょうか。とにかく、喫煙者は大変肩身が狭くなりました。「禁煙権」という言葉が人口に膾炙したのは1970年代頃でしたが、1990年代半ばぐらいまで、世の中それほど喫煙者に冷たくはなかった気がします。当時は「禁煙先進国」である米国においてすら、レストランやバーはもちろんのこと、旅客機内でもきちんと喫煙スペースは確保されておりました。ところがここ数年、米国はおろか欧州各国でも、公共空間での喫煙は一掃されつつあるようです。
発展途上国が喫煙天国だというのも、今は昔の物語。先日タイに旅行したところ、首都のバンコクはもちろんのことチェンマイなど地方都市でも公共のスペースはすべて禁煙。その徹底ぶりは日本をはるかに凌ぐものであって、さぞかし公の強権が発動されたのだろうと、呆れるやら感心するやら複雑な心境になりました。喫煙事情が世界規模で急激に変化したのは、ここ数年ほどのことですが、この流れを決定的なものにしたのは、2003年5月にいわゆる「たばこ規制枠組み条約」が世界保健機関(WHO)の総会にて全会一致で採択され、それを世界の多くの国々が批准したことでしょう。それに合わせてわが国でも「健康増進法」という法律が施行されました。
古くは作家の山田風太郎氏や作曲家の團伊玖磨氏が、禁煙権の極端な擁護や喫煙の過剰な制限を「禁煙ファシズム」であるとして批判し、最近では文芸評論家の小谷野敦氏が「禁煙ファシズムと戦う会」なるものを主宰しておられます。海外にもForces Internationalなる闘争的反禁煙団体があるそうです。そのような文化人や団体の抵抗をもってしても、この世界的な禁煙の風潮が覆るとは思えません。たしかに「健康増進法」なる法律はファシズム的匂いを放っており、また、人間の保守的習性として、これまで認められてきた行為を大幅に制限されることに抵抗感を抱くのも自然であると思われます。逆に禁煙推進派からは、これらの抵抗運動も新手の「ラッダイト運動」に映っているのかもしれません。
いずれにせよ、この手の議論では論理的精緻さよりは、有無を言わせぬ時代の風潮というものが力を持つものです。グローバリゼーションの時代は、「個」と「全体」の優先順位が判然とせず、個人優位でもありファシズム的でもあるという不思議な時代ではないでしょうか。個人的行動に端を発する健康といった問題でさえ、いまや立派な国際政治のメイン・テーマであります。どこかの国で生まれた「健康かつ文化的生活」といったスローガンは、瞬く間に世界各国に影響力を及ぼします。今後は個人の生活が世界政治あるいは国際政治とこれまで以上に接近し、互いを拘束することになるでしょう。いいか悪いか分かりませんが、それが人類の立ち至った新たな状況であることは間違いないようです。
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