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2008-07-09 00:00
マスコミ報道における「私たち」とは何者か
苦瀬雅仁
東北大学教授
マスコミ報道では、よく「私たちの生活」「私たちの賃金」といった言葉が使われる。例えば7月8日のNHK「総合時事公論」での報道もそうであった。この「私たち」とはいったい何なのであろうか。おそらくは、視聴者の立場に立った、視聴者と意識を同じくした「私たち」というつもりなのだろうと思われる。しかし、そういう言葉を使うときの報道の立場は、「消費者」「給与所得者(あるいはその家族)」「大都市住民」という立場に、自然となってしまっているように思われる。実際この「時事公論」においても「私たち消費者」「私たちの賃金」「大企業にはたくわえがある」「企業に・・・を促す」といった表現が使われ、そのような意識であることが良く見て取れる。
しかし、マスコミは公器なのであり、日本経済全体としてはどうか、ということに意識を向け、あるいは、さまざまの立場の人の利害を考慮する必要があるのではなかろうか。一見、「視聴者」の立場、「国民」の立場に立ったようでいて、それは単に多数派となった「都市に居住する」「給与を受ける」「消費者」という視点からの偏った報道に過ぎないのではないだろうか。例えば、世界的な資源価格高騰の中で消費者物価の上昇は比較的低く抑え込まれているが、その中でこのような偏った立場からのみ論じて、なお価格を上げないことを主張していくことには、どのような正当性があるのか。全体の中で本当に良いことが主張されているのかは、検証が必要であろう。これはほんの一例であるが、このような報道がどのような偏りをもたらし、どのような弊害を生じているか、さまざまの報道において考えていく必要があると思う。
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