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2008-09-25 00:00
(連載)吉田茂はチャーチルでなくチェンバレンを評価していた(1)
山田禎介
ジャーナリスト
麻生太郎首相が誕生したのに伴い、麻生氏の祖父吉田茂に、歴史を超えて、再びスポットライトがあたっている。外交官出身の政治家吉田茂の生きた時代と現代は大きく違う。だが吉田の経験した時代の重大な局面での政治指導者の舵取りとその結果は、現代も語り継がれる。たとえば、第2次大戦の遠因である対ナチス宥和政策、ミュンヘン協定(1938)は、繰り返してはならぬ20世紀の悪しき政策の例に挙げられてきた。だが晩年の吉田は、このミュンヘン協定を評価し、さらにその主導役英首相ネビル・チェンバレンを称えた事実があるのだ。吉田茂の発言の意図、またよくいわれるチャーチルとの関係を読み解きたい。
チェンバレンはヒトラーからその融和政策につけ込まれ、ナチスのポーランド侵攻を誘い、自ら対独宣戦布告を行う大きな読み違いを招き、それがもとで辞任を余儀なくされた。後継者チャーチルが、米大統領ルーズベルトとともに全体主義に立ち向かい、第2次大戦を勝利に導く。チェンバレンはチャーチルに首相の座を譲ったあと、失意のなかで死ぬ。現代日本では、久しく現れぬ英雄待望か、このチャーチルのファンが多く、安倍晋三元首相も尊敬する人物に挙げるほどだ。また日本では吉田とチャーチルとの比較論も多い。だが吉田は指導者として、チャーチルではなく、チェンバレンを評価していたのだ。吉田茂は晩年の昭和40年代に当時の新進政治学者高坂正堯と行ったNHK対談のなかで、チェンバレンを称え、チャーチルとの意外な関係をうかがわせる発言をしている。「これまで遭遇した世界の政治家で誰を尊敬しているか」と高坂が質問、明らかにチャーチルとの答えを期待したのに対し、吉田は意外なことに、「ネビル・チェンバレン」と答えたのだ。(つづく)
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