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2008-09-26 00:00
(連載)吉田茂はチャーチルでなくチェンバレンを評価していた(2)
山田禎介
ジャーナリスト
意外な返答に戸惑う高坂に対し、吉田は「ミュンヘン協定でヒトラーに譲歩し、暫定平和が保たれたことで、英米は第2次大戦への準備ができた。ヒトラーとの会談が決裂し、開戦となっていたら、英国はたちまちナチスに蹂躙された」という趣旨の説明を加えた。吉田は1930年にイタリア大使、36年から39年までは駐英大使であり、ミュンヘン協定渦中の欧州を現場で見ている。
英仏伊独の4国間で、チェコの一部をドイツに与えることを認めたこのミュンヘン協定の主チェンバレンは、第2次大戦を招いた無策の政治家として、現在断じられる。だが吉田は、そのチェンバレンを擁護した。もちろん吉田が駐英大使時代に、当時の英首相チェンバレンと親しかったということもある。さらに吉田は、このNHK対談でスターリンについて、明らかに不快感を示し、ノーコメントだった。ナチスとの対決には、スターリンの共産主義とも手を結ぶと豪語したのが、チャーチルだった。
第2次大戦後、首相となった吉田は、訪英し、チャーチルと会談したが、そのなかでチャーチルは「日英同盟は破棄すべきでなかった」と語っている。だが、日英同盟は、ロシアの極東侵出をブロックするために日本を利用しようとした英国の戦略であった。日本が軍事力を拡大させれば、今度は日本が英国にとっての仮想敵国になる。日英同盟は崩壊するべくして崩壊したものだ。チャーチルは第2次大戦中、あまりに米国との、そしてその大統領ルーズベルトとの関係が、濃密だった。ひとつにはチャーチルは、英国の名門貴族の出身であると同時に、母親が米国人であり、しかもその母親には米先住民が血も入っているというのが、「政治的売りもの」だったということもある。(つづく)
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