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2008-09-27 00:00
(連載)吉田茂はチャーチルでなくチェンバレンを評価していた(3)
山田禎介
ジャーナリスト
チャーチル・ファンは、日本をターゲットにするかれの戦略外交をどう受けとめるだろうか。第2次大戦中日本の公使館は、ロンドンと至近の中立国アイルランドのダブリンにあったが、アイルランドに外交的脅しをかけて、その退去を実現し、ルーズベルトに恩を売ったのが、チャーチルだった。英米という大西洋社会の国益をかけたチャーチルの冷徹な行動だ。また第2次大戦後の首相時代に、当時は皇太子だった天皇陛下がエリザベス女王戴冠式に出席のため渡英したが、旧敵国であり、戴冠式出席者の序列では、はるか後位を余儀なくされた。そのエリザベス女王戴冠式では、ガーター勲章をつけたチャーチルが儀式の主役の一人で、新女王への忠節ぶりを示している。
チャーチルが東洋の新興国日本に関心を持ったのは、日英同盟のもと、ビクトリア女王の子息コンノート公、のちのエドワード8世など多くの英王族、高官が日本を公式訪問している事実と無縁であるまい。彼ら大英帝国支配層の主要任務は、インド、香港、カナダなどの植民地や英自治領を定期的に訪問することであって、極東訪問はその一部だった。そのことは、当時の日本の気づくところではなかった。日英友好の分断の決定的なきっかけは、やはり日本の対外膨張政策であり、さらには第2次大戦で英国が超大国の位置から滑り落ちたことだろう。101歳で亡くなった英王室のエリザベス皇太后は、日本でも生前にこやかな表情がときおり紹介されたが、第2次大戦中、国王ジョージ6世とともに空襲下のロンドンを守った気丈な王妃の面もあった。(つづく)
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