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2008-09-28 00:00
(連載)吉田茂はチャーチルでなくチェンバレンを評価していた(4)
山田禎介
ジャーナリスト
1980年代の現皇太子殿下の留学渡英の際、ウィンザー城での歓迎食事会の席でエリザベス皇太后は、第2次大戦での王室戦利品である日本の小太刀と皇太子殿下を同列にする言葉を口にして、周囲をあわてさせたという。この小太刀はウィンザー城に飾られていたもので、日本敗戦の第2次大戦終結時に東南アジアで降伏した日本軍総司令官の寺内寿一が、武人のならいとしてビクトリア女王のひ孫、東南アジア方面連合軍最高司令官マウントバッテンに捧げたものだった。若き日のマウントバッテンも英皇太子の訪日に同行したことがあり、寺内寿一とは知己だった。
日本の皇室は英王室を近代君主制の見本としたが、英国は第2次大戦でインドを始め多くの植民地を失った。英国王ジョージ6世は、最後のインド皇帝でもあったが、その后が、のちに英皇太后となったエリザベス皇妃。生涯の後半を大英帝国の衰退とともに生きた皇太后には、くやしさを隠せない何かがあったのだろう。さらに英王族の臣モールバラ公爵の子孫であるチャーチルは、大英帝国のよき時代に青春を送り、英インド軍勤務の経験もある。そのインド時代の従卒には生涯、ポケットマネーで金を送り続けたという。第2次大戦後のアトリー労働党政権下でのインド、パキスタンの独立承認に、チャーチルは当然、強固に反対した。
高坂との対談で「ネビル・チェンバレン」を持ち出した吉田茂は、皇室には「臣 茂」という戦後日本ではもはや時代がかった忠義のスタンスを示した人物でもある。ともに異例の国葬で生涯をまっとうしたチャーチル、吉田に、さらに共通したものを求めるとすれば、いずれも19世紀から20世紀初頭の植民地主義とその残像が残る世界の政治家だったということではなかろうか。歴史に「もし」は禁句だが、信念の政治家といわれる吉田茂のチェンバレンへの評価と「ミュンヘン協定是認」という国際政治のスタンスについて、再検証の価値はあると思う。(おわり)
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