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2008-10-17 00:00
ノーベル賞受賞は、国威発揚とは無関係
吉田 康彦
大阪経済法科大学客員教授
テレビのワイドショーを見ていたら、キャスターが神妙な顔で、「残念なニュースがあります」と前置きして、「ノーベル物理学賞受賞が決まった南部陽一郎氏は米国に帰化しているので、アメリカ人としてカウントすることになり、日本人受賞者の数が1人減り、4人が3人になりました」という。それを聞いて思わず苦笑、失笑した。国籍が米国でも南部氏が日本人であることに変わりないし、米国メディアがアメリカ在住の日本人学者の受賞を祝福してくれるのは喜ばしいではないか。
私は旧著『国連改革』(集英社新書)に「五輪、国連、ノーベル賞」という1章をもうけ、日本人が過大評価し、一喜一憂する対象として、この3者に共通項があることを指摘した。最近の現象として付け加えるならば「世界遺産」ブームがある。世界遺産に登録されるかどうかで、国をあげて大騒ぎするのは日本だけだ。
滞米・滞欧生活13年の私が日本社会にいまだに違和感をおぼえるのは、オリンピックのメダル獲得数に異常な執念を燃やすことだ。これなどはスポーツだからご愛嬌だが、国連の権威も過大評価し、政治家や新聞記者がブトロス=ガリ事務総長(当時)詣でをして、次々に「日本は憲法改正してもPKO(平和維持活動)に自衛隊を派遣すべきか」とお伺いを立てるという珍現象が起きた。最近、日本人の国連信仰はかなり衰退した。理由は事務総長が韓国人だからだという穿った見方がある。
3番目のノーベル賞もその権威を過大評価し、日本人の受賞に対する執着が強すぎる点では、オリンピック並みだ。メディアは五輪と同じ感覚を持ち込み、星取表もどきの国別番付などを掲げるから、冒頭のキャスターの「残念なニュース」になるのだ。物理学賞共同受賞の益川敏英氏はメディアの狂奔ぶりを評して、いみじくも「これは社会現象だ」と述べたが、日本独特の社会現象である。海外で研究実績をあげ、定住している日本人学者は枚挙にいとまがない。国籍など無関係だ。経済だけでなく、学界(とくに自然科学界)はグローバル化しているのだ。日本人の受賞をまるで国威発揚のメルクマールのように思い込む錯覚から、そろそろ脱却したらどうか。
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