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2008-10-25 00:00
(連載)アメリカ大統領選とテレビ報道の威力(2)
山田 禎介
ジャーナリスト
だが、もう一つ、歴史的、地政学的な事情を忘れてはなるまい。アメリカ東部とヨーロッパでの生活体験があれば分かることだが、米欧という大西洋世界には実は日米間のような時差の障壁はあまりなく、多くの生活時間を共有できる。そこが今日に至ってようやく視覚共有が可能となった、日米間の時差克服との極めつけの違いだ。世界経済の先行き不透明感、閉塞ぶりに対し、各国が協調、対処しなければならないが、米欧首脳がことさら日本を無視するかのような姿で常にまとまるのは、歴史的な電信、電話という旧ホットライン時代から、すでに彼らには生活時間を共有できる時の空間があったからだ。
こうしたグローバル経済への世界の対応ぶりとはまったく別な世界で行われるのが、偉大なローカル選挙であるアメリカ大統領選だ。オバマ、マケイン両候補がその将来の外交政策として、唯一の超大国アメリカのグローバルな責任を訴え、それに世界が反応するシーンは確かにある。だが、4年に1度の大セレモニーであるアメリカ大統領選は、一にも二にもアメリカ市民によるものである。さらに正確にいえば、全米各州が、合衆国というその連邦の長を、その州ごとの意思で決めるものだ。
ところで外資企業のバイスプレジデントについて、日本で多い代表権を持つ「副社長」と混同するケースをよくみかける。乱暴な表現だが、副大統領(バイスプレジデント)の平時の役割は、この外資の担当部長クラス。一方、アメリカ知識層から指摘される有事の際の副大統領の昇格資格問題がある。これも日本となると、教科書で知る歴史的なリンカーン暗殺事件に加え、「初の日米宇宙中継」と呼ばれたテレビ・リアルタイム初映像のケネディ暗殺事件(1963)で増幅され、まるで“メリケンお家騒動”のように印象付けられてきた。でも副大統領から昇格の大統領も、よき“番頭サン”を得て乗り切るのは、ケネディ亡き後のジョンソン、また日本人には抵抗がある人物だが、ルーズベルト没後のトルーマンなどの例にみるように合衆国の歴史の一部でもある。
アメリカのこの政治風土の前に広がる広大な国土は、日本や都市国家シンガポールのような均質思考の市民社会ではない。多人種、多文化、先住民に移民文化も加わる。民度の高いとされる東部にすら、近代技術文明を拒否、馬車、ランプ生活に甘んじることを誇りにする「アーミッシュ」文化がまだ残っている。さらにこの新大陸の持つ巨大農業地帯には、外国の存在など気に留めることなく、大らかに暮らす社会がある。
個人体験だが、文化・教育レベルでは全米有数の中西部ミネソタで、「キミは今回初めてアメリカに来たそうだが、ならどうして英語をしゃべれるんだ?」と真顔で問われたことが忘れられない。この老人はごく普通の現地の市民で、観光会社の社長だった。歴代共和党副大統領の“実業系採用”の系譜は、このような風土がいまだ基盤になっていることからくる選挙戦術ともいえそうだ。ともあれ、今回大統領選挙の結果が民主、共和のどちらに転ぶかは、まもなく判明する。だがそれもまたアメリカ市民とその所属州が決めることでしかない。(おわり)
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